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【101】忘れられた母たち


母親のアン・ジャーヴィス

いまから百年前のこと、五月にこの世を去った母親のアン・ジャーヴィスという女性がいました。その娘のアンナは心から母を尊敬し愛していました。

母のアン・ジャーヴィスは、一一人兄弟の中で生まれ育ちましたが当時のウエストヴァージニア州は医療水準が低く、その中で成人したのはアンを含めてわずかに四人だけでした。

母親のアンはそのような環境で育ったせいか敬虔なクリスチャンとなり日々、教会で祈り続けていました。そして、地域の医療や衛生環境の改善をするためにボランティア団体を組織し、地域の医療補助活動を続けたのです。

特に一八六一年の南北戦争ではナイチンゲールのような活躍をし、戦争の最中の衛生状態が悪いために両軍の兵士の間に腸チフスや麻疹などが流行しはじめ、アンは、北軍も南軍も分け隔てなくすべての兵士たちを助け続けました。

この活動が当時のアメリカ国内で広く報道されることになり、さらにアンは南北戦争終了後もこの活動を続け、南北の間に入り、子どもたちに教会で勉強を教え続けました。

アンは一九〇五年五月九日に天国に召されました。

娘のアンナは、生活のため、銀行の出納係など仕事を転々としながら、尊敬する母の活動に援助することを目標にしていました。やがて兄弟とも暮らし始め。保険会社で成功を収めました。その間は、母アンと綿密な文通で連絡を取り合いながらそれが二人をさらに深く結びつけるようになります。その後、アンは心臓病となりアンナはアンの最期まで介護を続けました。

そしてアンナを含めた四人の生き残った子どもたちに見送られながらアンはこの世を去りました。

そして、娘アンナは一九〇八年五月一〇日(母の死後三年後)にアンドリュースメソジスト監督教会で、すべての母をたたえる記念式を催し、この日が世界で初めて公式な「母の日」としての儀式を行いました。

この日、アンが好きだった白いカーネーションを礼拝出席者全員に贈りました。その白さには、母の愛の真実、純粋、広い慈善をシンボライズし、その香り匂い、母の記憶、彼女の祈りが込められていました。

それから白いカーネーションはシンボルとなり、白は亡き母をたたえ、赤いカーネーションは生きている母に感謝と祝福を表すようになりました。

しかし、一九一四年に「母の日」はアメリカの記念日となり、五月の第二日曜日と政令されましたが、アンナの予想を反し、「母の日」が商業的な利用となって行くようになりました。白いカーネーション、赤いカーネーションは価格が上がり、シンボルが様々な商品となり商業化されてしまうのでした。

「その白さは母の愛

真実、純粋、広い慈善を表すもの

その匂いは生前の母の記憶

カーネーションは花弁を落とさず

それが枯れる(die)とき

その中心(heart)にそれをつけ

それだから、そのうえ、

母は子の胸(heart)に抱きしめ、

母の愛は決して死な(die)ない」

アンナ。ジャーヴィスの言葉より

アンナは「母の日」が世の中に広まることを望みましたが、商品化され商業的なビジネス利用には反対運動を続けました。印刷されたカードやお菓子、高価な演出など、さらに政治活動や組織の資金集めに利用されていたことに心を痛めていたのです。彼女は大切な母親が屈辱されたような気持ちに陥ってしまったのかもしれません。そう、モノではなく心からの感謝の気持ちが本当の「母の日」だからです。

アンナはこの世を去る間際に「自分が創ったこの祝日が商業化されることを自分の手で止めたかった。そうやってお母さんの思いに報いたかった」という言葉を残しています。

アンナ・ジャーヴィスは一九四八年一一月二四日(八四歳)に天国に召され、ペンシルバニア州ベラ・カヌイドのフィラデルフィアの近くの、ウエスト・ローレル・ヒル・セメンタリーで、母。兄弟、姉妹の隣に埋葬されました。

アンナの望んだ「母の日」は、「その日は家に帰り母と過ごし、母のしてくれたことに感謝するための日」でした。(本年で一一二年目を迎える「母の日」)

ウエストバージニア・ウエズリアン大学のアントリー二は「すべての母親を祝うのが目的ではない。自分たちの知る最高の母親、すなわち自分の母親を、子どもとして祝うための日だった」といいます。

あれから百年を超えた現在、「母の日」は世界中に広がりました。

しかし、本当の「母の日」の姿は、アンナが望む、

「その日は家に帰り母と過ごし、母のしてくれたことに感謝するための日」ではなくなり、カードメッセージでさえ印刷物となりました。

アントリー二が語る、

「すべての母親を祝うのが目的ではない。自分たちの知る最高の母親、すなわち自分の母親を、子どもとして祝うための日だった」なのです。

本当の感謝はお金やものではないし、決して高価である必要はない。母親はそんなものを望んではいない、のです。

今年の母の日は、五月一〇日(日)です。

あれから一三九日目となりました。

もう、私には、この世にはいない母ですが、

その日は母と過ごそうと考えています。

娘のアンナ・ジャーヴィス

おしまいのとき(The Last Time)作者不詳

あなたが赤ちゃんをその手に抱いた瞬間から、あなたも生まれ変わるのよ。 自由だった日々を恋しく思うこともあるでしょうね。 何も心配事のなかったあの頃生まれ変わったあなたは、これからはきっと、今まで体験したことのない疲労感を知ることになるかもしれない。 同じことの繰り返しを、ただ、ただ、時間を重ねていく毎日が訪れる ミルクを与えて、ゲップをさせてオムツを替えて、また赤ちゃんは泣く。 寝かせたり、寝足りないのかと考えたり、初めての育児に闘う日々が来る それは、まるで果てしなく永遠に続くのではないかと思ってしまうほどよ。 でも忘れないね。 すべてのことには"終わりがある”ということをね。 いつの日か、子どもにご飯を食べさせてあげるのはこれで"おしまい"という日が来るわ。遊びつかれた子どもが疲れてあなたの膝で眠る日があるでしょう 眠った子を抱きしめることも、いつかは最後の日が訪れるわ。 いつものように子どもを抱っこし、おろす。当たり前だったこの行動もある日終わりが来るの。 一緒にお風呂に入り子どもの頭を洗う、でもね、ある時「一人でお風呂に入る」と言い出す日が来るわ。 力強く握っていたあなたの手を必要としない日も来るわ。 夜中、眠ているときに、子どもたちが一緒に寝たいとあなたの布団に潜り込んでくる。そんな風に起こされることがいつか来なくなるのよ。 子どもたちと大好きな歌を歌って踊る、そんな幸せに満ちた日々も終わりの時がくるわ。 学校に送っていくと「行ってきます」とキスをしてくれるけれど、やがて、次の日、学校に送っていくことはなくなり玄関先でキスをしてくれるようになる。 寝る前の絵本の読み聞かせも、汚れた顔を拭いてあげるのも、いつか最後のときがくる。 子どもたちが両手を広げあなたの腕に飛び込んでくることも、必ず最後のときがくる。 その「最後(おしまい)のとき」はいつ来るのか誰にも分からない。それは、それが来てから初めて「最後(おしまい)のとき」が訪れたことに気がつくわ。 だからもし、今あなたが子どもたちとの時間を過ごしているのなら この時間はそんなに多くは残されていないことを覚えておいてほしいの。 そしてその最後のときを迎え、このかけがえのない時間があなたの中から去った時これらの日々が心から愛おしく戻ってほしいと思うでしょう。

そう、おしまいのときに。

創訳 cou cou

The Last Time (原文)

From the moment you hold your baby in your arms, 

you will never be the same. 

You might long for the person you were before, 

When you had freedom and time,

And nothing in particular to worry about.

You will know tiredness like you never knew it before,

And days will run into days that are exactly the same,

Full of feeding and burping,

Whining and fighting,

Naps, or lack of naps. It might seem like a never-ending cycle.

But don't forget...

There is a last time for everything.

There will come a time when you will feed your baby

for the very last time.

They will fall asleep on you after a long day

And it will be the last time you ever hold your sleeping child.

One day you will carry them on your hip,

then set them down,

And never pick them up that way again.

You will scrub their hair in the bath one night

And from that day on they will want to bathe alone.

They will hold your hand to cross the road,

They never reach for it again.

They will creep into your room at midnight for cuddles,

And it will be the last night you ever wake for this.

One afternoon you will sing 'the wheels on the bus'

and do all the actions,

Then you'll never sing that song again.

They will kiss you goodbye at the school gate,

the next day they will ask to walk to the gate alone.

You will read a final bedtime story and wipe your last dirty face.

They will one day run to you with arms raised,

for the very last time.

The thing is, you won't even know it's the last time

until there are no more times, and even then,

it will take you a while to realize.

So while you are living in these times,

remember there are only so many of them and

when they are gone,

you will yearn for just one more day of them

For one last time.

(Author unknown)

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