【91】神さまに与えられた時間

December 16, 2019

神さまに与えられた時間

 

新年の朝、私はとても哀かった・・。

昨年のクリスマスの日に、医者から余命を宣告されたからだ。

 

辺りはクリスマスソングの曲が響き、若者もお年寄りも皆が幸せそうに見える。私は毎年訪れるクリスマスが大嫌いだった。なぜなら、自分はこんなにも不幸なのに、他の者は幸福に見えるからだ。父母を幼くして亡くした私は、残された兄弟達を必死で守るために仕事ばかりの人生だった。しかしその兄弟達も、もうこの世にはいない。私の人生は友人や家族を見送るだけの人生だったのだろうか?

 

100年近くの歳月が過ぎて、兄弟達は皆この世を去っていた。

もう誰も見送りたくない・・。

 

私の余命は、運が良ければ10年、悪ければ5年と担当医師はいう。若い頃は、寂しさから傍若無人で無茶ばかりしてきたが、今になってそのつけが回って来たのだろうか・・。

昔は人生50年、現代は100年も夢ではないといわれているが、人生など100年あってもアッという間だと思うのは私だけだろうか・・。

 

新年、新たな年。

人はこの節目に何を願い、何を祈るのだろう?

私は何を願い、何を祈れば良いのだろう?

私はいつ死んでもいい、そう考えて生きてきた。

年老いた私が、さらに生きたからといって何が楽しいのだろう・・。

人生なんてつまらなく、退屈なものだ。

年を取れば身体は不自由になるし、動きも鈍くなる。ついでに頭の回転も悪くなる。何よりも介護されて生きるのはしんどい・・。

しかし、不思議な事もある。

それは介護されていても幸せそうな人がいることだ。

老人ホームで一人ぼっちで生活しているのに、楽しそうな人がいることだ。

そんなのは不幸だと、私は思ってきた。

 

年を取ると我儘になる。

物事に我慢が出来なくなる。

他人の想いがわからなくなる。

せっかちになって、怒りっぽくなる。

自分は不幸だと思うようになる。

自分は絶対にそうならないと考えてきたが、実際に年を重ねてみて、やはり不幸になっていく事がわかった。それは何よりも身体が不自由になるからだ。

 

ある日、私よりも不幸な人に出会った。定期的に出向いている病院で検査の順番を待っていた時に偶然、隣り合わせになった老人は、自分の意志で歩けず、手足も不自由なうえに糖尿病を患い、あと数カ月の生命だという。私も不幸だが、その人はもっと不幸だ。

 

その不幸な老人が私に話しかけてきた。

「あんたぁ、随分と哀しい顔をしているのぉ、顔に死相が現れているぞ」

私は驚いて質問した。

「私の顔に死相が現れている・・どうしてそう思うのですか?」

「わしは、まだ数カ月生きられるといわれた。身体は自由に動かないが、あんたは、わしの顔はどう感じるかのぉ」

「あと、数か月には見えませんが・・」

 

「うおっほっほ・・わしの数カ月は数年間と同じ。あんたの10年は数カ月だな」

私は随分と失礼で無礼な爺さんだと思った。お互いに若ければぶん殴ってやろうか、そう思うくらい馬鹿にしていると思った。ましてや初対面の間柄である。

「どうして、そう思うのですか?」

「あんたぁ、最近笑っていないだろう。いや、何年も何十年も心から笑った事がないじゃろぅ!見ればわかる。わしはなぁ、あんたより歳は上じゃが、優しい顔をしているだろう。わしはいつも笑っているから、顔の筋力はそこいらの年寄りには負けはせん」

 

この爺さんは何を言いたいのか?くだらない自慢話に付き合っている暇など私にはない。

早く順番が来てほしい・・私はイラついていた。

 

「いいかのぉ、あんた、毎日笑ってごらん。笑うとなぁ、人生って、こんなに楽しいものかと思うくらい楽しくなる。笑わない生活を送る者は毎日がつまらない。何よりも他人から愛されない。笑わないと笑い方を忘れてしまう。あんたのように口がヘの字になって、しかめ面になる。それは顔の筋力が無くなるからじゃ。だから自分の顔を鏡で見てごらん。笑顔になれなかったら、しかめ面になっているはずじゃ。どうじゃ、わしのように笑ってみぃ・・」

 

うーん・・・、爺さんの言う意味はわかったが、爺さんの言うように、私は笑えない。頬がこわばって動かない。そう、私は長いこと心から笑った事がなかった・・。

 

爺さんの話しは続いた。

「わしはのぉ、余命数カ月といわれたが、余命は《残された時間》のことじゃあない。わしは、これまで何度も病院に運ばれたが、運が良いのか、そのつど九死に一生を得た。手遅れにだったら、もう5回は死んでいただろう。そのたびにわしは考えた、いや想った。わしは間違いなく意味があって生かされているとな。ただ運が良いだけではなく、わしの母や父が、天国からまだまだ生きろと指示していてくれている。わしは神など信じたことはなかったが、この時ばかりは神様が生きるお墨付きをくれたのだと信じることにした。《余命》は残された時間ではなく、《神に与えられた時間》なんじゃよ!これからの素晴らしい人生、《残された時間》と考えて生きるか?《神様に与えられた時間》と信じて生きるか?あんたは、どちらを選んで生きるのかい・・」

 

私は一瞬、目が覚めたように感じた。

なぜなら私は《残された時間》を生きてきたからだ。

 

「いいかのぉ、《残された時間》と考えて生きる者は不幸を背負って生きて行く。時間がない、時間がないと、慌てふためいて時間を失うからじゃ。《神に与えられた時間》と考えて生きる者は幸福しかない、感謝しかない。寂しさや哀しさもない。時間を無限に感じ、身体の不自由などは当たり前の事として、その不自由さを味わい、楽しむことができる。不自由も悪くない、楽しいものだ」

 

爺さん、ありがとう・・。

この爺さんはきっと長く生きるだろう、私はそう感じた。

 

「この爺さんより長く生きてやろう」と思った私は、翌日から鏡に向かい、笑う訓練を始めた。

 

 

©Social YES Research Institute / CouCou

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