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【75】真剣に耳を傾けることで信頼を得る方法

ベンジャミン・フランクリンはアメリカの紙幣100ドル札に、その肖像画が描かれている人です。発明家であり、企業家であり、アメリカ建国の父と呼ばれ、貧しい家の出身者でありながらも、のちに大富豪となり、アメリカンドリームの体現者として有名な人です。

1706年1月17日、ベンジャミン・フランクリンはボストンで13人兄弟の11番目に生まれました。イギリスからニューイングランドに移住してきた父親は、ベンジャミンの学費が払えず、1714年、8歳のベンジャミンは学校を退学します。その後は年季奉公をするために印刷屋を転々とし、1729年9月、23歳のときに新聞の発行を譲り受け、ペンシルバニア紙として売れ行きを伸ばすことになります。もともと読み書きが好きだったベンジャミンは自分の新聞に文章を書き始めます。1736年、ベンジャミンは30歳で組合を設立。1744年には学術協会を設立します。この頃から印刷所の経営も軌道にのりはじめてきました。

1744年、ベンジャミン38歳のときに「ペンシルバニアストーブ」を発明。1745年には凧を用いた実験で、雷が電気であることを明らかにして、ハーバード大学から名誉博士号、イギリス学士院からはコプリー賞と学士院会員に迎えられています。1762年にはオックスフォード大学より博士号を授与されました。ベンジャミンには学歴がありませんでしたが、独学で研究し学び続けた結果です。

1750年、44歳のときにフィラデルフィアの市会議員から州会議員になり、政治家の道を歩みはじめます。1790年4月、84歳で死去し葬儀は国葬となりました。

わずか10歳で学校教育を終えたベンジャミン・フランクリンでしたが、独学で学び続けることで社会に貢献しました。10歳といえば、日本では小学五年生。フランクリンが学校に通っていたのはわずか2年間。

心静かにうなずき、常に相手を理解しようとする姿勢にあった人だといわれています。多くの人たちに影響を与えている理由がそこにあるような気がします。

フランクリンの肩書きは、印刷家・評論家・社会改良家・出版業者・科学者・発明家・外交官・政治家・哲学者と9つにもおよんでいますが、これらのほとんどは、独学によって導き出した結果といえます。若き日のフランクリンは、大学で学んできた者や学者、科学者を馬鹿にしていた面もありました。なぜなら独学で学んだ自分の知識の方がはるかに上回っていることを認識し、その知識を用いて自らの正しさを主張し、他者との議論に打ち勝ち、世の中の誤りを正そうと考えていたからです。

このようにフランクリンは、他人の知識よりも自分の知識の正しさを主張し続けました。しかし、正しい発言をくり返しても多くの人たちがフランクリンから遠ざかっていきます。「正しいことを主張しているだけなのに、人はなぜ私を嫌うのだろう?」

当時のフランクリンは、他者が何を思い、何を考えているかまったく判らず、人を信用することができなくなっていました。

そんなフランクリンは、ソクラテスの言葉から質問することを発見し学びます。相手のことを理解し知っていくために、多くの人たちに質問をくり返します。謙虚に、もの静かに、笑顔で。結果や答えがわかっていても、あえて言わず、相手側からその答えが出るまでじっと聞き続けました。相手の反応が遅くても、答えが遅くても、じっと我慢します。

そうやってフランクリンは、相手が自分と同じ結果に到達したときに、共感できる喜びを発見したのです。

「世の中で、人にあることをさせるように口説く方法は、たったひとつしかない。それは、その人が何となく自発的にそのことを実行したくなるように、上手に道案内をしてやることである」                    デール・カーネギーの言葉より

2時間、3時間と相手は話し続けます。フランクリンはポツン、ポツンと質問をくり返すのみ。すると、相手の顔に安堵感が生まれます。この安堵感こそが信頼関係だとフランクリンはいいます。

「私は、ただ相手の話に真剣に耳を傾けるだけで、私自身の理論や知識が正しいと主張する必要がなくなっていました」           ─ベンジャミン・フランクリン

©Social YES Research Institute / CouCou

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