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【73】自分に革命を起こす

ヘレンケラーは目が見えず、耳が聞こえず、口もきけない三重苦を背負った少女でしたが、これらの障がいを欠陥としないで克服し、自分の才能を見事に開花させました。

人は自分の障がいをどう乗り越えればよいのでしょう?

自分に障がいがあると思っているほとんどの人たちは、それらを自らの欠陥だと思い込み、気にして悩んでいます。そして悩めば悩むほど、自分が思うところの欠陥は増幅されて大きくなってしまいます。また、自分に障がいがあると思う人は、自分で勝手に「欠陥だ!」と決めつけている場合が多いものです。他人はそれを欠陥と感じない場合も多いのに。

ヘレンケラーの場合はその欠陥を受け容れ、立ち向かい、自分に内在する才能を見事に探し当てました。

では、へレンはどうしてそれを可能にしたのでしょうか?

たとえば、目が見えなければ耳が敏感になります。目では見えないということに対して、耳が敏感になって補うからです。これを「生理的補償作用」といいます。この「生理的補償作用」は誰にでもあるもので、もしこれを活かすことができたならどうでしょう?

神経質な人は、その神経質であるという欠陥を自分の才能として伸ばすことができるはずです。むしろ、欠点、欠陥は自らに与えられた才能と呼べるかもしれません。

さて、この「生理的補償作用」をどう活用したらよいでしょう?

まず、人は欠点や欠陥と思われることを嫌い、マイナスととらえる人がほとんどです。しかし、欠点、欠陥、短所のない人なんてこの世にはいません。これらをプラスに考え、上手に利用することが「生理的補償作用」なのです。

両足のない者は、両足のある者より両手が器用に動くよう発達します。

口のきけない者は、口のきける者より自分の意志を伝える努力をします。

早く走れない者は、早く走れる者より努力する心が育ちます。

私の場合は、記憶と暗記する能力が不足していると感じているので、他の人よりも記録(メモ)することを常に心がけています。

これは例ですが、「勉強のできる者は、あえて勉強する必要がなくなり、勉強ができない者は、勉強をし続けようとする力が備わる」というようなものです。

昔、小泉八雲という作家がいました。

この人は子どもの頃から病弱で、さらに片方の目が見えませんでしたから、常にもう片方の目も見えなくなるのではないとか恐れていました。

しかし、この欠陥があったために文学に打ち込むことができました。

八雲の欠陥は他人にはわからないことだったのかもしれませんが、この欠陥を通して数々の作品を生み出し、オンリーワンの才能として開花させました。失明の恐怖によって、「観察眼」(ものを視る力)が磨かれ、非常に鋭い表現力が身についていったといいます。

八雲は、自分に内在する恐怖心から新しいものを視る力を、自らの力で蓄えたということですね。

もし、若いということが欠陥なら

もし、年をとっているということが欠陥なら

もし、お金がないということが欠陥なら

もし、他人に比べて才能がないのが欠陥なら

もし、勇気が持てないというのが欠陥なら

もし、仕事が上手くできないことを欠陥だと思うなら

欠陥があるからこそ、「生理的補償作用」が働くことを思い出してみてください。

欠陥を補うために働きだす力が、自分の中から生まれてくるのがわかるはずです。

ですから、欠点、欠陥を嫌ってはなりません。

©Social YES Research Institute / CouCou

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