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【32】天空の世界

扉をあけたら、そこにはいつものように父や母がいました。

二人はわたしを笑顔で優しく迎えます。

「元気だったかい・・」

「久しぶりだね・・」

すぐさま、母は台所で料理を作りはじめました。

父は、お酒を呑みながら新聞を広げています。

わたしはその姿を見て懐かしさが込み上げてきました。

「おい、ちゃんと飯を食べているか・・」

「そんなもの、食べているのに決まっているでしょう、もう大人なのだから・・」

母がすぐさまわたしに援護射撃します。

「・・・」

わたしは無言で母の料理に手を付け始めました。

台所からはまた懐かしい包丁の音がしています。

いつの頃からでしょう・・家族で食事をしなくなったのは。

言葉数の少ない家族の団欒の中で、テレビが騒がしく煩く聞こえます。

「おい、飯を食ったら将棋でもやるか・・今度は勝たせないぞ・・」

そういえば、子供の頃、父とよく将棋をやったものでした。将棋を覚えたてのわたしは何としても父に勝てません。何百回やっても勝てません。あまりに悔しくて、将棋道場に通い数年後には勝てるようになりました。それ以来、連戦連勝し、いつのまにかやらなくなっていたのです。

わたしは父に言われるがまま将棋を指し始めました。テレビの雑音も気にならないくらい静かな対決です。将棋盤をじっと見つめ、勝負に熱中している父の姿を見ていたら驚いてしまいました。あまりにも若い父がそこにいるのです・・。そばにいる母も若くなっていました・・。鏡を見たら小学生のわたしです。

なぜでしょう?

一体どうしたのでしょう?

これは夢なのでしょうか?

わたしは鏡を見返し、父や母を見直しました。すると、そこには小学生の頃のわたしの家族がいました・・。

その場所を眺めていたら涙が止まらなくなりました・・。

決して悲しいから泣いているのではありません。

懐かしさと嬉しさと、幸せの涙といえるかもしれません。

しかし、不思議です。

ここはどこなのでしょう?

わたしはどこかの世界に迷い込んでしまったのでしょうか・・。

なぜ、ここにいるのでしょう・・。

わたしはあまりにも居心地が良いので、夢であったら冷めないでほしい、そう心に願いました・・。

時間はとてもゆっくり、ゆっくりと動いています。

一分間が一時間以上あるように感じます。

案の定、将棋は父に負け続けていました。わたしはとても悔しがっています。何度も何度も勝負しますが、父に勝てません。父はお酒が回って眠くなってきたのか、もう止めたそうな顔をして、なにやら母に合図を送っています。

ここはどこなのでしょう?

翌朝、午前5時に目が覚めました。父や母はまだ布団の中です。

これは、本当に夢ではないのでしょうか・・。

わたしはそっと玄関から外に出てみました。朝の空気は冷たい、でも気持ちが良い。この気持ちをいつから失ってしまったのでしょう・・。やがて、朝日が昇り、まわりは明るくなりました。青々とした樹木や花たちが咲き誇りあたり一面は花畑です。鳥たちがさえずりはじめました。なんと美しい山々なのでしょう。こんなに自然は美しかったのでしょうか・・。

忘れていました。

この世はなんて素晴らしいのでしょう・・。

街に出ました。車が行き交い、道行く人たちも現れてきました。商店街はシャッターを開けはじめ、子どもたちは学校に向かいます。

しかし、わたしはどうしてここにいるのでしょう・・。

わたしは慌てて家に向かって走りだしました。まだ父や母が家にいるのかどうか心配になったからです。夢なら夢でこのまま冷めないで欲しい・・わたしはそう願いました・・。

家で母は洗濯をしています。父は車の掃除をしていました。わたしはほっと胸を撫で下ろしました。そう、夢はまだ続いていたのです。

「父さん、母さん・・」

「なんだ、お前はどこに行っていたのだ・・心配していたぞ・・」

「さあさあ、朝ごはんを準備してあるから食べなさい・・。納豆に卵に焼きのりだよ。さっさと食べなさいね・・」

わたしは湯気の出ている味噌汁と炊き立てのご飯を食べました・・。

わたしは思い切って質問をしました・・。

「ところで、父さん、母さん。どうして僕はここにいるのでしょうか?どうして父さん、母さんは若いのですか?僕は死んでしまったの?ここはどこ?ここは天国?」

「はは、これは夢じゃあないよ・・現実なのだよ。別に心配しなくともいい。母さんと相談してお前をここに呼んだのだよ・・。ただ、この世界は別の世界だよ。死後の世界だという人もいるが、死後の世界なんてないよ。お前も死んだらわかる・・」

「えっ・・。死後の世界・・夢でない・・。これも現実なの・・」

「そうだよ。現実の世界さ」

「でも、どうして僕はここにいるの・・。どうして父さんと母さんはこの世界に僕を呼んでくれたの・・」

「お前が逢いたい、と望んだからさ・・」

「僕が逢いたいといえばいつでも逢えるものなの?」

「いや、お前が逢いたいと願い、私たちも逢いたいと願った時、逢えるのさ・・」

「・・・」

「大きくなったなあ・・。お前の方が年寄りみたいだな・・」

確かにわたしは50代なのに、父や母は20代です。

「どうして父さんと母さんはいつまでも若いの・・」

「それはな・・。この世界では、私達が一番幸せだった時、私達が一番望んだ時を選べるのさ・・」

「・・・」

「人は死んだら、別の世界に行く・・。死なんて存在しない。この世とあの世などない。天国も地獄もない。扉をあけて別の部屋に行くようなものだ。人生は終わりのない永遠の旅。親子はいつまでも親子、子が親になったり、親が子になったりという生まれ変わりなどはないよ・・」

「・・・」

「どうしてお前を呼んだのかといえば、逢いたかった、元気でいる事を知らせたかった・・。死は終わりでなく、はじまりで次の舞台(ステージ)に移動するだけだという事を教えたかったのだよ・・」

「そう、ありがとう・・」

「お前は、私達がこの世を去ってからずうっと後悔をし続けていたね。お墓に来て泣いていたね・・。あの時にこうすれば良かった。ああすれば良かった・・。そう思い続けて苦しんでいたね・・。でもね。悲しむ必要なんてないよ。私達の人生にはまだまだやり足らなかった事は沢山残っているけれど、良い人生だったよ。楽しい人生だったよ。素晴らしい人生だった・・」

「私も楽しかったわ・・。それに嬉しかった・・」

「・・・」

「それに伝えたいことがある・・。それはね・・。お前が生まれてきてくれて心から感謝していることだ。お前がいることで、どれだけ幸せだったことか・・。私達の幸せのすべては、おまえが私達の子どもだったということだ。ありがとう。それだけを伝えたかった。そして、何も悲しむ必要はない。現在、母さんと二人でこんなにも幸せな生活を送っている。この世界は今までの世界と何ら変わらない、楽しい世界だよ・・」

「・・・これからも逢えるの・・?」

「もういいだろう、何度も逢う必要はないよ。それよりも今の世界で精一杯に生きればいい・・。もっと楽しみなさい。もっと幸せになりなさい。もっと、もっと良くなりなさい・・。それが私達の願いだよ・・」

「父さん、母さん、ありがとう。わかったよ・・。でもまだこのままこうしていたい。また次も逢いたい・・」

「それは無理だよ・・。これは、誰にでも与えられている一回だけの奇跡なのだからね・・」

「・・奇跡・・」

「そう、それが分からない人もいるよ。でも、そんな事で悲しむ必要もないよ・・」

「でも・・」

「じゃあ、母さんがいい事を教えてあげる。それはね、あなたの想いはすべて私達に届いているのよ。私達の想いも届いているはずよ。注意して、注意して、そっと心の中で語りかければ私達の声が聴こえるはずよ。これは誰でも同じ。すべての人に聞こえるのよ。私達、毎日あなたに声をかけたり、話しかけたりしているのだからね。あなたの声も全部届いているのよ。そう、信じてごらん。信じたら聞こえるよ・・」

「・・・」

突然、渦巻きの中に落ちたように、私は目が覚めました・・。

もしかすると、すべて夢なのでしょうか?

それとも気がおかしくなったのでしょうか?

あまりにもリアルなのです。

でも、わたしは信じる事にしました。

そこで、父や母に言い足りなかったことを想い出しました。それは、

「もう、大丈夫だよ・・。もう心配しないでいいよ、ありがとう・・。心配してくれて、愛してくれて、想い続けてくれて、ありがとう・・。何よりも僕の父さん、母さんでいてくれて、感謝しかありません。やがて向かうその世界で、待っていてほしい・・。僕が一番幸せだった時にお呼びしますから。だから・・」

すると、父や母の声が聴こえました。

「まあ、のんびりやりなさい。慌てて生きても仕方がない。だから、ゆっくり急がずに、人生を楽しんで、幸せになってほしい・・」

「・・ありがとう。本当に聞こえたよ・・」

いつの間にか、辺りは薄暗くなり、夕焼けが天空を真っ赤に染め、山々は黒く輝き、太陽が沈んでいきました。

また、朝が来る・・。

新しい朝が・・。

「あっ、父さんと母さんだ・・」

「おはよう・・」

〈わたしは幸せなのだから〉

ねえ、あなた わたしが死んでも

悲しい歌は、歌わないで

眠るわたしの傍に 

大好きな薔薇の花も、糸杉も、植えないで

自然の若草が雨と露に濡れるままにしてほしい。

わたしのことを忘れてもいいし、忘れなくてもいい。

わたしはあなたの影さえも見ることはできず、

雨さえも感じることはありません。

夜泣き鳥の悲痛な声も歌声も聴くことはありません。

明けることも暮れることもなく、黄昏の中で夢を見て、

あなたを想い出すかもしれないし、忘れてしまうかもしれません。

だから、

ねえ、あなた わたしが死んでも

悲しい歌は、歌わないで

わたしは幸せなのだから

クリスティナ・ロセッティ作<SONG>より 創訳 COUCOU

©Social YES Research Institute / CouCou

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