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【16】悪口日記 ─あるヘルパーさんからの手紙より─

私はホームヘルパー一年生です。

本来はこの仕事、あまり好きではありませんでした。

なぜ始めたのかって・・・不謹慎かも知れませんが、「やることが何もなかった」からです。ホームヘルパーは訪問介護ともいい、介護を必要とするお年寄りや身体の不自由な方の家庭を訪問して、日常生活の援助を行う仕事です。

掃除、洗濯、買い物、料理に加え、着替え、入浴、排泄などの身体介助を行います。さらに通院などの外出に付き添うこともあります。

忙しい日々の中で、私は日記を付けるようになりました。

良い人もいれば、嫌な人もいて、嫌な思いすることも数多くあります。

先輩は修業だ、学習だのと偉そうに言いますが、とても大変な仕事を選んでしまったと後悔し始めていた頃でした。

とにかく嫌なことが多いのです。

だからといって家族にいちいち愚痴る訳にもいきません。もし、そんなことを相談すれば、すぐに「辞めれば」と言われてしまうからです。だから日々の嫌なこと、悲しかったこと、辛いことなどを日記に書くことにしたのです。

そのタイトルは「悪口日記」。

毎日書き綴っていたら、なんと一月一冊のペースになり、それだけ不満の多い毎日なのでした。

ある同僚のヘルパーと一緒に仕事をしたときのこと。

彼女は決して美人とはいえませんが、とても笑顔が可愛らしい人です。どんなお年寄りに対しても自然な笑顔で接していました。彼女が寄り添うだけで、お年寄りはみな自然と笑顔になっていくのです。

それに比べて私が担当するお年寄りはいつも不機嫌です。怒りや憎しみが顔に出ていることが多く、いつも対応に苦慮しています。私に原因があるのかと、思わず考え込んでしまうくらいでした。ああ、私の日記帳が何冊にも増えていきそう。

あるとき私は、そのヘルパーの女性にこんなことを尋ねてみました。

「あの・・・大変失礼ですが、この仕事って楽しいですか?あなたはいつも楽しそうに見えるのだけど…」突然の不躾な質問に、彼女は驚いた顔をしながらも答えてくれました。

「楽しくなんかないわよ。毎日とっても大変。給料は安いし、身体はきついし、眠れない夜もあるわ…」

こんどは私の方が驚いてしまいました。

「でもね。わたし、特にやりたい仕事があるわけじゃあないし、何か特技があるわけでもなし、好きなこともない。こんな人生ってつまらないと思ったの。だから人の役に立つ仕事を探していたのよ。正直なんでも良かった。この仕事ははね、自分が決めた仕事。自分が選んだ仕事。だからね、たとえつまらなくても楽しむ努力は惜しまないことにしている」

彼女の話しは続きます。

「そこでね、わたしは日記を付け始めたのよ。それはね、その日にあった良いことだけを書き続けるの。あのお爺さんが笑ってくれた、ありがとうって言ってくれた、済まないねえと言ってくれた。喜んでくれた、泣いてくれた。お菓子をもらった。こんな当たり前で他人から見ればつまらないことかもしれないけど、わたしはそれを「喜び日記」にしたの。日記には嬉しかったこと、楽しかったこと、喜ばれたこと、何かもらったことまでちゃんと書いている。そしたらね、毎日が楽しくなってきたの。わたしはただのホームヘルパーだけど、とても大切な仕事だと思っている。だから一瞬、一瞬を大切にするようにしたのよ」

私は「悪口日記」を書いている自分が恥ずかしく思えてきました。

だからといって私の考え方が大きく変わるわけでもありません。だってこの仕事は好きじゃあないし、人と話をするのも苦手です。でも、もうすぐ二年生・・・。

そんなある日、介護先の老人がこんなことを言いました。

「いいのう、うらやましいのう、あんたは若いのう」

「そ、そうですか?」

「いいかい、人生は百年あったって足りやしない、二百年、三百年、千年あっても同じ。ほんの一瞬じゃ。今から十年といえば、だいぶ先のことに感じるが、十年たって振り返れば、すべてが一瞬の出来事に感じる。わしは九十六歳。あっというまの九十六年間。過去は幻に過ぎないという言葉があるが、そんなものかもなぁ。だから若者はもっと年寄りと仲良くして、嫌がらず、未来の自分と接していると思えば発見もある。老人には誰にもやがて訪れる未来を見せるという使命があるのじゃよ。わしはあと二百年の人生がほしい…」

「はぁ。でもそれって長すぎませんか?」

「ハッ、ハッ、ハッ。わしは何の後悔もない。それだけ人生というものは素晴らしいということじゃよ。百年、あんたは楽しみながら生きなさいよ」

この日、わたしはこのお爺さんの言葉を日記に綴りました。

タイトルはもちろん「喜び日記」。自分の未来を見守っています。 

©Social YES Research Institute / CouCou

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