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YES(希望)の言葉

もう少し、もう少しだけ生きてみよう。

もう少し、もう少しだけ頑張って見よう。

 

どんなに時間がかかっても、

諦めずに頑張って欲しい。

 

たとえ、くじけそうになっても、そこで終わらないで欲しい。

たとえ、どんなにやめたくなっても、決して、決して、やめないで欲しい。

 

努力しがいのあるものに対しては、決して、決して、諦めないで欲しい。

絶対に、絶対に諦めないで欲しい。

 

なぜなら、この世で根気ほど万能なものはない。

 

こう思ったら、いつまでも、いつまでも、そこにしがみついて欲しい。

決して、決して、諦めないで根気強く生きて欲しい。

 

そうすれば、必ず夢は叶い、

目標は必ず実現する。

 

成功し失敗の境目は、

人よりよけいに努力したり、

遠くまで行ったりする、

耐える意志があるかどうかにすぎない。

 

 

良き考えが浮かんだら、すぐに行動を移してみよう。

どうしてもやってみたいことがあるのなら、今すぐやってみよう。

目指すものができたなら、すぐに行動に移してみよう。

 

それは、すべての人を愛すること。

それは、すべての人に心を尽くすこと。

 

充実した人生を送る秘訣は、

幸福をつかむ秘訣は、

ただ、心を無にして願うことである。

なぜなら、奇跡は必ず起きているのだから。

 

 

希望を持つということは、希望の実現を願うことである。

そして、この目に見えない願うということが、物事の実現に大きな役割を果たす。

だから、物事を希望的に考えて見る、それを願い信じることから、その希望は生まれ、知恵が育つ。だから、希望を持って生きてみよう。

 

今の状況は、そんなに長く続く訳がない。

嵐はやがてやむし、困難もやがては必ず克服できる。

 

だから、だから。

もう少し、もう少しだけ生きてみよう。

もう少し、もう少しだけ頑張って見よう。

 

どんなに時間がかかっても、

諦めずに頑張って欲しい。

 

たとえ、くじけそうになっても、そこで終わらないで欲しい。

たとえ、どんなにやめたくなっても、決して、決して、やめないで欲しい。

 

努力しがいのあるものに対しては、決して、決して、諦めないで欲しい。

絶対に、絶対に諦めないで欲しい。

 

この世で希望を持つことほど万能なものはない。

 

 

だから、だから。

もう一度、信じてみよう。

もう一度、いや、何度でも希望を持ってみよう。

そして、希望を信じて、希望の実現を願ってみよう。

 

必ず、夢はかない、願いは必ず実現する。

 

だから、人生に、YES(希望)いってみよう。

だから、人生に、YES(甘受)しよう。

だから、人生に、YES(感謝)しよう。

 

一九九五年七月七日記 創訳 COU COU

はじめに。みんなで幸せになる話。

ごきげんよう。

僕の名前はCOUCOU(こうこう)といいます。

これからみんなが幸せになって、平和な世界が生まれる話をします。それは、僕が体験したこと、数多くの苦しみを体験した方たちが学んできたもので、この方法しか苦しみから抜け出す道がないということで、この話をしますね。

 

それはとても簡単なことでした。

ただ、困った時、悲しい時、苦しい時に「YES(イエス)」というだけでいいのです。

すると、何かが変わっていくことがわかります。

これは奇跡とか、宗教とか、特殊な思想などでもありません。

イエス・キリストのことでもありません。

「そんなことはありえない・・」と思う人が大半かもしれませんが、「YES(イエス)」というだけで人生が好転し、あなた自身がしあわせになり、あなたの周りの人たちをしあわせにします。

「そんな、信じられない・・」という人もいるかもしれませんね。

でも、あり得るのですよ。なぜなら、この僕がその体現者だからです。

 

僕は六〇年間近く、自らの人生にNO(否定)といい続けてきました。

僕の人生は、子供のころから真っ暗闇の人生でした。

すべてをNO(否定)し続けることによって自らの平静を保っていました。

日々、何かを恐れ、心配し、疑い、死の恐怖と不安だらけの人生だったのです。

まるで小さな光を追い求め、闇夜の海を彷徨う小舟のように漂流し続けていました。

美しい愛なんて言葉はもちろん信じられません。

信じれば救われるなどということよりも、信じないことが救われる道だと思っていました。

ありとあらゆる宗教書なるもの、哲学書なるものを読み続けましたが何も答えを得る事ができませんでした。それは、その世界に対する疑い、不信に近いものがあったからです。

 

僕は神さまなど信じません。いまだに信じることができません。もし、宗教が、神さまが人を救うことが出来るのなら、世界中で殺し合いや醜い争いごとなど起こらないはずです。それは、神さまが人間を創ったのではなく、人間が神さまを創り、祀ったものだからです。ですから、人間が想像するような神さまなど信じられません。

 

えっ・・。そんなお前がどうしてYES(肯定)なんていうのか、って。

そうですね。それは僕ほど人生をNO(否定)してきた人と出会ったことがないからね。子供のころから六〇年近く、心が折れて、自信を失い、いまだに不安だらけの日々を送っているからね。だから、みんなにわかりやすく伝えることができると思うから。

 

でもね、今は簡単に立ち直れるようになったのですよ。とてつもない時間がかかり、やっとですけれどね。だから、あなたにもこの方法を知らせたい、伝えたい。

YES(肯定)は自分から見たまわりの世界が一変する。

まるで新しい世界が見えてくる。

 

あなたも僕のように信じられないとNO(否定)するでしょうね、きっと。その気持ちは痛いほどわかります。僕もあなたと同じだから。でも、人生ってあなたが思うほど悪いものじゃあない。日々の生活の中で、嬉しいこと、楽しいこと、幸せなことを見つけてみませんか?

もう、これで大丈夫!みんなで幸せになろうね。

そんな思いで「YES」を書いてみました。

〈天井の絵「YES」ペインティング〉

 ある時、知り合いの女性が、

「オノ・ヨーコとジョン・レノンの出会いを知ってる?」

と、なにげなく僕に訊いた。

 

僕が知らないことを確認すると、彼女は、ややスローな口ぶりで先を続けた。

「あのね、一九六六年の秋にジョンはね、ロンドンで開かれたヨーコの個展に行ったらしいの。会場でヨーコの作品を観ていたジョンは、ある作品の前で立ち止まったのね。それは、白い部屋の真ん中に白い梯子を置いただけのものだったのよ。その真っ白な空間でジョンは、中央に置かれた梯子にとても惹きつけられたらしいの。(なんだろう?)って不思議に感じたみたいなのよ。そして梯子に近づくと、『梯子を昇って、額から吊り下げられた虫眼鏡で、天井の白い額の中の文字を読んでください』というメッセージがあって、興味をそそられたジョンは、メッセージ通りに白い梯子を昇って、虫眼鏡を手に取ると、肉眼では見えないほどの小さなちいさな文字を読んだというのね」

 

そこまで話すと、彼女はいったん間を置いてから、

「ねえ、そこには何が書かれてあったと思う?」

と僕を覗くように言った。その時の僕は、次に彼女の口から出る言葉を待つのも、もどかしい気持ちになっていた。なんせ僕は、ジョンとヨーコの大ファンなのだから。

(もったいぶらずに、早く言ってよ)と内心は思ったが、

「わからないなぁ、なに?なんて書いてあったの?」

と、逸る気持ちを隠すように返した。

気を好くした彼女は、ニンマリとした笑みを僕に向けると、

「あのね・・・イエス・・・。『YES』と一言書かれてあったのよ!ジョンは、虫眼鏡でしか見えない小さなイエスをみつけたのよ!そしてそれが、あのジョンとヨーコの出会いの瞬間でもあったのですって!」

聞いた直後の僕は、感動、感激というか、鳥肌がたつようなゾクゾク感を覚え、しばらく感嘆符だらけのショック状態に陥っていました。

そして、その瞬間こそが、僕を「YES」へと向かわせるべくキッカケであり、僕の中で「NO」を刻んでいた時計は、それから少しずつではあるが、秒針をYESという未来へ進ませることになったのです。

 

この話を聞かせてくれた女性は、その直後の二00四年四月十七日~六月二十七日の間、東京都現代美術館で開催された『YES オノ・ヨーコ』展で、実際に白い梯子のオブジェを観てきたと、再度話してくれたのでした。その時、女性が入手した作品案内の一冊『YES YOKO ONO』から抜粋した、この作品『天井の絵「YES」ペインティング』に関する記事を以降に記すことにします。

 

一九六六年後半、インディカ・ギャラリーの個展を進める間に、作家は大きな紙に不釣り合いに小さな字で「YES」と書いた文を額装した。床に立ったままでは、文を読むのは不可能に近い。床に置かれた梯子が、作品に近づき、額からつりさげられた虫眼鏡を用いて文を読み、作品を仕上げるよう鑑賞者を誘う。そうすれば、鑑賞者は梯子に昇った褒美として、なにもかも肯定する「イエス」という単語と出会うことになる。

少なくとも鑑賞者のひとりは、文が「否定的な・・・・ハンマーでピアノを叩き潰したり、彫刻を壊したりするような、うんざりするような否定的なたわごと」ではなくてほっとした憶えがあるという。当時の前衛芸術といえば、大抵そうしたものと思っていたこの鑑賞者、ジョン・レノンは「あのYESを見て、しばらくそこにいる気になった・・・・」。

 

 実際、彼女のコンセプチュアリズムは、コンセプチュアル・アーティストたちのそれとは異なり、批判することではなく、魔法にかかったように、心を開くことを呼びかけることである。本作品も指示的なものであり、彼女の多くのインストラクションと同様、肯定的なものである。ジョン・レノンは、ヨーコと初めて会ったときにそれを理解した。彼が梯子を昇り、天井にある額縁に入った紙を覗き込んだ時に彼が出会ったのは、小さく書かれたYESという文字であった。

「それは本当にポジティブ(肯定的・前向き)だった。気持ちが救われたよ」。

 

 

 僕は、この衝撃的な「YES」との出会いに想いを馳せ、僕の『イマジン』ジョンとヨーコを描いてみました。僕からあなたに贈るジョンとヨーコの物語です。

一 人生に「YES」といってごらん

私は苦しかった・・。

私は優鬱だった・・。

私はただ悲しく、寂しかった・・。

私はこれからどう生きればよいのか、ただ迷っていた・・。

 

一九六六年一一月九日、「未完成の絵画オブジェ」という展覧会に友人を伴い、彼は訪れました。その会場には東洋人らしき大きな瞳と黒髪の女性がいました。その女性は彼とその友人をじっと見つめていました。彼女は淡々と会場を案内し、ごく当たり前の対応をしていました。

彼女は彼と目があった瞬間に、突然彼に小さな紙切れをそっと渡しました。その紙切れを開くと「まず、息をしなさい」と書かれていました。彼にはその意味がわかりませんでしたが、。素直に書かれてある通りに、まずフゥッと息をしました。すると何やら緊張感が減ったように思えました。

今までこんなに深く呼吸をしたことがあっただろうか・・。彼はふと考えました。彼はただ言われた通りにしていましたが、その姿をいつまでもじっと見つめる長い黒髪の女性でした。彼女は彼の瞳の奥を覗くかのように、大きな黒い瞳で見続けていたのです。

「一体、何だ・・・。一体何だっていうのだろう・・」

彼は、おののき、心の中でそう叫んでいました。しかし、その呼吸を繰り返している内に、そこはまるで時間が止まってしまったかのように静かで、大自然の中に自分が包まれているような、ゆったりと、ゆっくりとした空気の中にいるような気がしていました。

 

私は苦しかった・・。

私は優鬱だった・・。

何よりも希望のない私は悲しく、ただ寂しかった・・。

さらに私には生きる喜びがなかった・・。

生きる希望を失っていた・・。

何よりも夢さえも失っていた・・。

 

彼は呼吸を繰り返しながら、会場の奥へと進みました。

 

次の会場は何もない部屋でしたが、中央に真っ白い台と梯子が置いてありました。天井には小さな絵が貼ってあるようです。その絵のそばには、それを覗くためか虫眼鏡が天井から吊り下げられてあります。

「これは一体何だろう?まさかこの梯子に昇れというのだろうか・・。そこには何が描かれているのだろう・・。何を言いたいのだろう・・。とても不思議な空間だ・・」

不思議に思いながら、彼はそこを昇ることにしました。梯子に手をかけ、ゆっくりと一段ずつ上がり、梯子の一番上から虫眼鏡で小さな絵らしきものをそっと覗いてみました。

すると、その紙には、ただ「YES」とだけ書いてあったのです。

彼は驚きました・・。

 

彼はその瞬間、自分の求めていたもの、必要としていた希望を見つけたのでした。

まるで雷に打たれたかのような衝撃を受け、瞬間、何もかもに救われたと感じたのです。

「そうか・・。自分に足りなかったもの、それは「YES(肯定)」。

私は人生を「NO(否定)」して生きていた・・。私の求めていた必要なものすべて、それが「YES」だった・・」

 

彼は思わず涙に包まれました。長い髪の黒い大きな瞳の女性の頬からも涙が流れ落ちていました。

どうしょうもない弱い自分。

どうしょうもない辛い現実。

それを肯定的に受け入れることから彼の人生が始まりました。

そして、彼は長い髪の女性のために歌を作りました。

 

彼の名は、ジョン・レノン。

彼女の名は、オノ・ヨーコ。

 

この時のジョンとヨーコの話は、僕の大好きなエピソードのひとつです。ヨーコは後に、この「YES」のことを〈人生に対するYES〉〈愛に対するYES〉〈平和に対するYES〉と言っています。また、ジョンは「心を開いてYESといってごらん。すべてを肯定してみると答えが見つかるんだよ」と歌いました。

 

ビートルズのジョン・レノンは誰もが知る有名人です。イギリスで夢と希望を持つ貧乏な若者たちが集まり、ビートルズは結成されました。世界中にヒット曲を出して多くの音楽ファンに影響を与えました。そして、彼らは念願の夢と希望を掴みとります。

 

しかし、頂点に立った彼らは、あの貧しかった頃のことを忘れてしまいました。彼らはそれぞれNO(否定)しあうのです。歌が、音楽がすべてではなくなります。友情も失います。それぞれが自由な道を選ぶのです。

それは、結果、NO(否定)の道になりました。

大金や名声を掴めば掴むほど何かを失い続けました。いや、彼らは幼い頃から、デビューする前から、人生をNO(否定)していたのです。その理由は劣等感でした。その劣等感のおかげでビートルズが生まれたのかもしれませんが、それぞれが不幸の道を歩みます。いつのまにか、感動や喜びを失い、生きる意味さえも失っていったのです。

そんな時、ジョンはヨーコと出合うのです。ジョンの死まで、わずか一〇年足らずの生活でしたが、二人にとっては初めてのYES(肯定)した人生の時でした。

 

ヨーコは、かけがえのないジョンを失った後、人生をNO(否定)しました。しかし、生きる希望を失ったヨーコを救ったのが幼き息子のショーンだったのです。ショーンこそジョンから与えられたYESだったのです。そして、もう一度、YESからの出発を始めたのでした。

 

生きるって素晴らしい、生きているだけで素晴らしい。

だから、もう少し、もう少しだけ頑張って見よう。

「YES(肯定)」は僕たちの心の栄養剤、心の応援歌です。

二 YESの道と、NOの道

人生とは選択の連続だという人がいます。

人は誰でも朝起きてから毎回、毎日、毎夜と一日に数万回の選択が訪れますね。朝食を食べようか、テレビを付けようか、洋服は何を着ようか、このように選択をしますね。

この選択こそがYES(肯定)とNO(否定)です。

 

僕の場合は驚くほどにすべてがNOの連続でした。それは、性格が歪曲していたこともあり、なおかつ天邪鬼なのですから始末が悪い。人にこうしたらと言われると反射的に逆のことをしてしまうような性格の持ち主のため、多くの人を傷つけていたようです。

(ごめんなさい)

それはどうしてかといえば、物事のすべてに自信がなかったこと、不安病のかたまりだったから。当然、自分を信じられないのですから、人を信じることなどできません。疑いのかたまりですから、人の好意や言うことに耳を貸すことなどありません。両親にも随分苦労させました。なぜかって?

それは子どもの頃から身体が弱く、幼い頃の長い入院生活が僕の心を病んでしまったのです。幼き子どもが自分を平静に保つ方法は自らにNO(否定)することでした。

すべては自分が悪いのだ、生まれてこなければ良かった、生きている事は罪なのだと信じてしまうのです。また、そう信じることで自分を慰めるのです。

 

だから僕はNO(否定)の道を選んで生きてきました。誰もが長い人生において様々な出来事に遭遇しますね。僕の場合は人のせいにしないように生きてきましたが、すべて自分のせいにして生きてきました。人のせいにしても何も答えのないことがわかっていたから、自分という実体のあるもののせいにすることが一番楽だったのです。

 

すると、NO(否定)のかたまりの人生の道を歩むことになりました。酷いものですね。

それがどう、酷いかって?

自分に自信がないと、人を疑うようになる。人を疑うと自分が疑われているような気がする。自分を信じる事が出来ないと、人を信じられなくなる。人の目が気になる。馬鹿にされたり、笑われているような気がする。物事のすべてを悪く解釈してしまう。自分のせいにしているようですが、結果、人のせいにしたり、何かのせいにする。信頼する人や友達ができない。どんなに好意で接されても、信用しない。他人から嫌われていると信じる。人がすべて敵に見えてしまう。いつも何かに恐れ、不安や心配ごとに襲われる。夜が怖い、眠れない。太陽のある昼間が嫌い。疑いに包まれて生きる。そして、死の恐怖、ノイローゼ、これがNO(否定)の道です。

三「YES(祝福)」の言葉

僕はすべてを否定して生きてきました。

ですから言い尽くせないほどの苦しみを味わいました。

否定は物凄い劣等感から生まれます。

この劣等感から生まれる否定がすべての不幸の道しるべといえるものかもしれませんね。

だって、劣等感があるから物事を否定してしまうのだから。

そして、否定することで自分を納得させてしまうのです。

 

また、劣等感を持っていることに気づかない人も多いですね。劣等というのですから、人より劣る、不足する、駄目、能力がないという場合に使われる言葉です。

でも、その劣等感は何から生まれるのでしようか。それは、人のせいにするのではありませんが、両親から頂いてしまうのです。

 

僕の場合、幼い頃から大病を患っていたため、常に「気を付けなさい・・」「無理をしないように・・」「病気が酷くならないように・・」「元気な子とは違うのだから・・」「言うこと聞かないと、また入院するようだよ・・」「薬を飲まないと死んでしまうよ・・」と言われ続けました。

両親にとっては当然、悪意はなく子を思い、愛するあまり、心配するあまりの言葉ですが、言われる子どもにとってそれは、悪魔の呪文となり、NO(否定)するようになってきます。

「頑張って勉強しないと希望の大学に入れないよ・・」「もっと成績を上げなさい・・」「このままでは負けてしまう・・」という言葉なども同じです。

 

こうして他者と比較されることで劣等感を持ち、ありとあらゆるものを否定してしまうのです。一番が正しくて、一〇番、二〇番では駄目だと競争意識を植え付けられることによって劣等感が生まれ、NO(否定)が育ちます。

 

でも、子どもから劣等感を取り去る方法もあります。

それは、親がYES(祝福)をすれば良いのです。

「祝福」とは〈おめでとう〉という意味だけではありません。

〈はげます〉ことも祝福のひとつです。

〈良かったね〉〈頑張ったね〉〈凄いね〉〈偉いなあ〉〈尊敬してるよ〉〈ますます良くなっているよ〉〈ありがとう〉、これらは劣等感、「NO(否定)」を「YES(良かったね)」に変える方法です。

 

そして、YES(祝福)を自分にも向けます。

いつの日か、嫌でも自分と別れるときが訪れますね、誰でも。

ですから、自分とのお別れのときに後悔のない別れが必要ですよ。〈良かったね、自分〉〈頑張ったね、自分〉〈凄いね、自分〉〈偉いなあ、自分〉〈尊敬してるよ、自分〉〈ますます良くなっているよ、自分〉〈ありがとう、もうひとりの自分〉

 

これが不幸から抜け出す方法のひとつです。

四「YES(はい)」の言葉

「はい」という言葉は美しい。

子どもたちが授業中に手を上げて「はい」といいますね。

なんと清々しい素直なあたたかな言葉なのでしょうね。

 

僕の父は九〇歳を超えても、人と接するときに「はい」といいます。僕が何か話しかけたりすると、必ず「はい」「ありがとう」と答えます。思わず僕は恐縮してしまいます。

そこで僕も人と接するときには年下であろうが、どんな人であろうが、お店の店員さんであろうが、「はい」で接するようになりました。すると、みなさん、驚いたように恐縮するのです。

 

また、僕が話す相手が「はい」と答えると、誰であっても僕は背筋の伸びる感じがします。どうですか、あなたは。「はい」は「YES(肯定)」の同意語ですね。

まさに「素直な心」「尊敬の心」「丁重な心」「好意をあらわす心」といえます。

 

先日、小さな子どもに「はい」と答えたら、嬉しそうな笑顔をくれました。その子もきっと「はい」というでしょうね。素晴らしいことですよ、「はい」は。

 

会社内では上司から仕事の指示を受けます。

「きみ、あれとあれをしておいてくれ・・」

「いやあ、忙しくて無理ですよ・・」「できません・・」確かにそのような場合も多くあるでしようね。

でも、こう答えたらどうでしょうかね。

「きみ、あれとあれをしておいてくれ・・」

「はい。少しお待ちください。今は忙しいので改めて・・」「はい、今はどうしても無理なのです・・」「はい、できないかもしれませんが・・」と、「YES(はい)」というだけで仕事も人生も好転し始めます。

 

この話を僕の取引先の社長さんにお話ししたら、翌日から社員との会話のすべてに「はい」と返事をするようになりました。すると、社員の方々はみな社長に恐縮して、会社全体が「はい」をいうようになったといいました。

後日、「ありがとうございます。社員たちとの会話をすべて〈はい〉というように切り替えましたら、会社全体が明るくなり活気が出てきました。おかげさまでCOUCOUさんには感謝しています」

「はい、ありがとうございます」

「はい、こちらこそ、感謝で一杯です」

いかがでしょう。「YES(はい)」は相手を敬い、認める言葉です。

五「YES(感謝)」の言葉

多くの人が「NO(否定)」して生きていますね。

否定していることに気づいていない人も多くいます。

なんでこんなにも多くの人たちが不幸なのでしょう。

NO(否定)という見えない怪物(モンスター)たちは、こうして不幸を与え続けているようですね。恐れは心配を生み、嘘、妄想は自らが生み出す心の産物です。僕はその怪物から別れるのに六〇年近くの歳月が必要でした。YESはその恐れから解き放つことができます。

 

YES理論の一番重要な部分は「YES(感謝)」です。

でも、感謝、感謝などと、いうとどこかしらの宗教くさく感じますね。

でもね、感謝の意味をはき違えないでほしい。人は何かをしてもらったり、何かをいただいたりすると感謝しますね。当然でしょうが、僕のいう「YES(感謝)」は少し違います。

 

それは、〈嫌なことにもYES(感謝)〉することです。

 

もちろん良かったことは感謝するべきことですが、嫌なこと、嫌いなこと、気に入らなかったことも含めて、一見マイナスのような出来事にもYES(感謝)するのです。

つまらない仕事であっても、不味い食べ物であっても、失敗であっても〈ありがとう〉と感謝するのです。

 

一見、「NO(否定)」と思われる、病気や怪我、様々な失敗、ついてない、運が悪いと思うもの、上手くいかなかったこと、友達との喧嘩、争い、損失、ミス、苦情、不平、不満、自分にとって不都合なことのすべてにYES(感謝)するのです。

すると、すべてが好転することがわかります。

友達から文句を言われた。とても悔しい思いをしたが、YES(感謝)してみます。

「文句をいってくれてありがとう。自分の足りなかった所を教えてくれて感謝する、ありがとう」すると、文句を言われたという心の中の怒りや憎しみが消えていきます。恨みがなくなり感謝するようになります。

どんな相手であっても、どんな敵であっても恩人だと思う、感謝できるように思う。不運なこと、苦しいこと、とても悲しいこと、どんなに貧しくともYESといえば夢や希望が湧いてくるのです。

このように本当は、一切の災いの中には幸せの芽が潜んでいます。ですから、苦しければ苦しいほど人生がYESとともに素晴らしくなります。「相手の幸せを願う、あなたの怒りが救われますように・・」これだけでバラ色の人生が迎えられるはずです。

 

何よりも、YES(感謝)することによって相手を許すことができ、結果、自分を許せるようになります。「あなたを許します」「あなたに感謝します」「あなたの言葉に御礼します」「私を許します」「自分も相手も責めません」

YES、YES、イエス、イエス、嬉しい。楽しい。ありがたい。素晴らしい、幸せです。こうしてYESは僕たちを許してくれるのです。

こうして、YESは良い事ことを探し、喜びを見つけてくれるのですよ。

 

「YES(感謝)」は勝手な思い込の呪文を外す魔法の言葉です。

人は苦しんではいけないのですよ。

六「YES(ありがとう)」の言葉

今日が人生の最後だったら・・。

今日が自分とのお別れの日だとしたら・・。

今日が大切な人とのお別れの時だとしたら・・。

 

私のYES理論にもっとも影響を与えた実話がありますので「YES(ありがとう)」の心で、ここに紹介します。

 

 

私は、囚われの身となった・・。

私の所持品はすべて奪われ、身体中の毛を残らず剃られ、まるで囚人服のようなもりを着せられた。腕には番号の入墨を彫られ、もはや人間としての人格などなく、番号のみでしか呼ばれなくなった・・。

他の者も同じようにされ、人格を失い、何よりも生きる希望を失っていった。 今日の私は、一糸まとわぬ裸体にされ、水に濡れたまま晩秋に一晩中立たされた。

このままではみな死んでしまうかもしれない。

 

眠る時はわずか二メートル半の板の上に九人が横たわる。

上を向いて寝る事も、寝返りを打つことも、足を曲げることもできない。

しかし、こうした状況の中であっても私は眠るように努力をした。

 

目を閉じれば、その世界は静寂があり、わずかでも安らぎを感じることができたからだ。以前は、隣の者の鼾や、恐ろしい悲鳴、泣き声などで眠ることなど出来なかったが、私は目を瞑ることによって深い眠りに陥ることができるようになった。

しかし、目を開けた時は恐ろしい光景と悲しい惨劇が繰り返された。

私たちはみな、明日はその者たちと同じ運命を辿るという覚悟を持って生きていた。わずかで腐っている食事だったが、みな何も言わず食べていた。食べ物は水のようなスープと、こぶし大のパンがひとつ。私たちはみな栄養不足となっていた。食事の順番を待っていた私は、その列からほんのわずかはみ出ていたということで殴打された。それは私だけでない。私たちは何も罪も犯していない囚人となっていた。

監視兵たちはまるで人を殴るのが楽しいのか、ストレスを発散しているのか、多くの者たちを殴り続け、罵倒する。それは誰も人間としては扱われない奴隷以下の待遇である。嘲笑され、足蹴にされ続けると、身体的な苦痛よりも人間としての心のダメージの方が大きい。

日々の生活は重労働の毎日で、多くの仲間の死体の処理や、穴掘りが主だった。鏡などはないが、お互いの姿を見ると筋肉は無くなり、哀れな身体となり、まるで互いが死人のように痩せ扱けていた。日々続く暴力はみなの精神状態までおかしくさせていく。監視人と呼ばれる者すべては人間としての良心のかけらもなく、最も卑劣で残酷な者たちだった。

私は毎日続く強制労働の中で、他の者は早く死んで楽になりたいと願っていたが、私はそれでも最後の最後まで生きて見ようと気を失いそうな意識の中で思い続けていた。

 

私は、内面に存在する、この世を去った愛する者のことだけを考えていた。

それは、妻との想い出であった。

妻は私より先に殺されていた・・。

父や母も殺されてしまった・・。

目を瞑ると、そこにはいつも笑顔で優しい妻の姿がある。その妻と対話を続けていた。そうしているうちに、やがてその妻が私のそばにいて、私を優しく見守っているような気配を感じるようになった。

寒中に凍った地面を何時間も掘り続けているうちに、その強い感情がさらに強くなっていった。

もう、妻との会話が何千回だろうか・・。

私はこの時、ある真理を感じた。

それは、「人間は、愛する人の像に心を深く捧げ、自らを充たすことが出来た時、浄福となり全く慰めのない世界をも乗り越えることが出来る」と悟った。

 

ある日、過酷な労働の中で疲れ果て、土間に横たわっていた所、私の目の前に美しい日没の景色が目に入り、多くの仲間にこの一瞬を見てもらおうと声をかけた。そこにはバイエルンの美しい夕暮れの光景が広がっており、燃えるような雲が、青銅色から真紅の色に変化していった。

この様はまさにこの世のものとは思えぬ幻想的な光景だった。

その時、誰もが感動し、「世界ってどうしてこんなに綺麗なのだろう・・」と皆からつぶやきが漏れた。

我々はすべて強制収容所での監視下にあり、奴隷以下の生活をしていて、明日は命の保証のない者たちばかりである。このような状況化の中であっても美しさを感じることができた。しかし、過酷な強制労働に耐えきれず次々に自らが死を選んで行った者も多かった。

死ぬ事は簡単だったのだ。監視兵に逆らったり、有刺鉄線の張られた鉄条網に突進するだけで簡単に死ぬ事ができたからだ。鉄条網には高圧電流が流れているし、機関銃で打たれればそのまま即死できる。

 

私の宝物はすべて過去にある。

 

未来はわからないし、未来など予測できない。人はよく過去に拘っても意味がない、過ぎ去った遠い昔ではないか、という者も多いが、私は覚えている、素敵で大切な過去を想い出す。

その想い出に私は語りかける。

こんな素晴らしい宝物はない。

幼き頃の父や母、優しかった父や母、兄弟や友人達、我が子供たち、みなこの世から去ってしまったが、私の記憶の中では必ず笑顔で迎えてくれる。

 

だから、「それでも私は、人生にイエスという」。

ありがとう人生、素晴らしきかな人生と想う。

 

これはアウシュビッツ強制収容所の話を描いた「夜と霧」というタイトルの本である。彼の名はヴィクトール・フランクルという。

第二次世界大戦中の六年間に、約六00万人のユダヤ人がアウシュビッツを初め、各地の収容所で虐殺されたといわれている。それはヨーロッパ全土にいたユダヤ人の七十二パーセントに相当するといわれている。この間、人類は四千万人の兵隊と四千万人以上の民間人が生命を失っている。

 

私はこの本を丁度高校生ぐらいの時に読んだ事を想い出します。

最近は復刻版として、どこの書店にも置かれていることに気がつきました。

この本は一九四六年に出版されたヴィクトール・フランクルは心理学者である。「夜と霧」というタイトルは、ヒトラーによって出された命令の名称で、その目的は、ユダヤ人を初め、ナチスに反対するあらゆる人間を、夜間に逮捕し、密かに強制収容所に送り込むことが目的だった。

 

一夜で、一家族がまるで霧のように消え失せてしまった事から、この名がついた。ゲシュタポにより逮捕された家族が、その後どこに連れて行かれ、どうなってしまったのかほとんどわからない。多くの場合、強制収容所に着くなり、ガス室で殺されるか、運よくそれを逃れても強制労働を余儀なくされた。

「夜と霧」はナチス強制収容所における想像を絶する地獄を象徴する言葉に置き換わっている。有名なアンネフランクやコルチャック先生なども同じ時期の人である。

この「夜と霧」の場合、フランクルは「希望」を多くの人々に伝えてくれる。

想像すること、創造すること、考えること、想う事、素晴らしい過去を振り返ること。過去のすべてが悪者ではなく、たとえ嫌な過去であったとしても、それは「あなたの人生の証ですよ」、それは「あなたの大切な過去の宝物ですよ」と語りかけています。

何も未来だけに希望があるのではなく、過去にも沢山の希望があった、それを想い出してほしいというメッセージにも聞こえます。

今、希望がないという人が多い。

また、その希望をまだ見ぬ未来にだけ向けている人が多い。

もし、私達の人生がフランクルのように、明日をも見えなかったとしたらどうなのでしようか?

不安だらけの人生になってしまうのでしょうか?

それともフランクルのように人生の宝物を想い出して生きようとするのでしょうか?フランクルは絶望の中で希望を見つけ、「どんな状況でも意味がある」といいます。

「それでも私は、人生にイエスという」という。イエスとは感謝するという意味にも聞こえます。

 

一九四五年アメリカ軍によって解放され、フランクルは奇跡的に生命を救われ、戦後、「ロゴセラピー」(人が自らの生きる意味を見出すことを助けることで、心の病を癒す心理療法)を提唱し、希望を失い、悩み続ける多くの人々を救います。彼は次ような言葉を残しています。

 

そもそも、我々が人生の意味を問うてはなりません。

我々は人生に問われている立場であり、

我々が答えを出さねばならないのです。

 

祝福しなさい、その運命を。

信じなさい、その意味を。

 

どのような状況になろうとも、

人間にはひとつだけ自由が残されている。

それは、どう行動するかだ。

 

人間が本当に求めているのは、安全などではない。

目標に向かって努力し、苦悶することなのだ。

 

私たちは、人生の闘いだけは決して破棄してはいけない。

 

幸せは、目標ではないし、

目標であってはならない。

そもそも目標であることもできません。

 

幸せとは結果にすぎないのです。

 

涙を恥じることはありません。

その涙は、苦しむ勇気を持っていることの証なのですから。

七「YES(こころ)」言葉

YES(奇跡が起こる魔法の言葉)があります。

ですから、決してNO(否定)しないでください。

 

良いことも、嫌なことも、目の前に起こること、すべてにYESと答えます。

「あの人は嫌だ」と思えばどんどんと嫌になります。その嫌だと思う部分は自分の中にもあります。「どうしても許せない」と思う、それは他人が自分の思う通りに答えなかった、動かなかったという結果に対して、許せなくなるのです。

なによりも、他人を許せないことは、自分を許せないことと同じです。どうしても自分を許せないために、他人が許せなくなるのです。NO(否定)は、他人も自分も許せないときに起こります。ですから、次のYES(奇跡が起こる魔法の言葉)に答えることで、今からの人生が変わるはずです。

 

  1. 今が一番幸せだと考える。幸せにYES、幸せだよと。いいね。

  2. 素晴らしい一日が訪れると考える。良い一日だと考える

  3. 明日はさらに良くなると考える

  4. これで良いと考える

  5. 頑張ったねと考える

  6. 生きていて、ありがとうと考える

  7. だんだん良くなってきたと考える

  8. うれしい、楽しいと考える

  9. 笑ってみる

  10. 小さな幸せをたくさん見つける。幸せだなとかんがえる。生きているだけで幸せ

  11. YES、ハイという。ハイは人生を変える

  12. 相手も自分も誉める

  13. 不完全でいいと思う、不完全に感謝する。

  14. 毎日の奇跡を感じる

  15. 嫌なこと、つらいこと、悲しいことにYESを

  16. YESを口癖にする

  17. 恐れない、心配しない、信じる、与える、祝福する。

  18. 終わり良ければすべてよし

  19. 失敗などありえない、失敗などない。

  20. 自分も、他人も許す

 

 

YES理論からはなだれのような現象として奇跡が目の前に現れます。

八「YES(八つの言葉)」

悲しみの人へ

苦しんでいる人へ

とてもつらい人へ

希望が見いだせない人へ

もう、この世から消えてしまいたいへ

闇の中から抜け出せない人へ

 

「YES」は魔法の言葉です。

 

涙がとまらない人へ

大切な人を失った人へ

しあわせを求めている人へ

さびしくて仕方のない人へ

誰も愛してくれないと思う人へ

ひとりぼっちだと考えている人へ

 

「YES」は希望の言葉です。

 

どうしても、自分を否定する人へ

どうしても、信じることのできない人へ

友達ができない人へ

愛する人が見つからない人へ

誰もそばにいないと思っている人へ

 

「YES」それは人生を好転させる言葉です。

 

ありがとう。

そうだね。

ごめんなさい。

よかったね。

おめでとう。

はい。

愛しているよ。

しあわせだよ。

 

この八つの言葉が「YES」の魔法の言葉、希望の言葉です。

悲しみ、苦しみ、つらさ、哀しい涙、さびしさ、すべての否定をなくすための魔法の言葉です。言い合い、争いごと、ののしり合い、けんか、いじめ、戦争やすべての争いをなくすための希望の言葉です。苦しいとき、つらいとき、この八つの言葉を声に出して答みて下さい。きっと、きっと涙が出てきます。その涙は悲しみの涙ではなく、喜びの涙に変わっているはずです。

 

この八つの言葉が「YES」運動のはじまりになります。世界中の人々が、この言葉を使う事で未来に希望を持ち、平和を生み出します。

あなたもこの「YES」運動に参加してみませんか?仲間になりませんか?

Yes begin!(YESを始めよう!)

おわりに「最後の5分間」

 彼は光が差し込む小さな窓から遠くを眺めていました。

 外の世界はまるで時間が止まっているかのように、ゆっくりとゆったりと流れているように感じていたのです。

 外は風もなく、空に浮かぶ雲は流れず、青空はそれでも青く。

 小さな窓からでも充分に感ずることができました。

 ほんの一瞬かもしれないが、この時が、彼の至福の時かもしれません。

 しかし、自然と涙が溢れてくる。その涙は決して喜びの涙ではありません。むしろ、深い、深い悲しみの涙といえるでしょう。彼はその窓から差し込む光にそっと手を合わせ祈る・・。

 

 ロシアの若者ムイシュィキンは誤解により逮捕され、裁判で死刑を宣告されました。もう、時間はあまり残されてはいませんでした。刻々と迫る死刑執行。

 直前まで彼は、死刑になることが信じられなかった。信じることができなかったのです。

 それは、自分には身に覚えはない、まったく罪を犯してはいないし、きっと誰かが助けてくれるものだと最後の最後まで信じていたからです。

 しかし、現実は信じていた神ですら救いの手を差し伸べてはくれません。

 彼は慌てた。なぜなら、まだまだ自分にはやりたいことがいっぱい残されていたからです。

 「死にたくない・・まだ、死にたくない・・、助けて欲しい・・」。

 彼は毎日、その日がくるまで祈り続けた。それまで神など信じていなかったし、祈ったこともありません。

 「だれか、助けて欲しい・・。父や母に逢いたい、友達にも逢いたい。どうしょう、どうしたら良いのだろう・・」。彼は考え続けた。

 これまでの人生を、これまでの生き方を、ただ考え続けた。

 「果たして、これで良かったのだろうか? もし、死刑でなければわたしの人生はどんなに素晴らしい人生だっただろう? もう何もできない。なんと無駄の多い人生だったのだろう。ああすれば良かった、こうすれば良かった…。しかしやり直しができない・・」。

 あと五分・・。彼は、その五分に希望を託した。

「生きていられるのはあと五分ばかり。(中略)もし、死なないとしたら、もし、命を取りとめたら、それは何という無限だろう。その無限の時間がすっかり自分のものになったら、おれは一分一分をまるで百年のように大事にして、もう何ひとつ失わないようにする。いや、どんなものだってむだに費やさないだろうに」。

 そして、ロシアの若者ムイシュィキンはこの五分間を、友だちや愛する者たちとの別れに2分間、いま一度自分自身を考えるのに二分間、残りの一分間は、この世の名残りにと、周りの風景を眺めるためにあてたい、と語る。

 この物語はロシアの文豪ドストエスキーが若いころ、ロシア皇帝暗殺を計画したと疑いをかけられ逮捕され、死刑判決を受けた話です。

 自らが処刑される寸前に、皇帝からの恩赦が出て、死刑にならずシベリア流刑に減刑されるという奇跡が起こったのです。

 

ドストエスキーはその奇跡に歓喜し、神に感謝を捧げました。

 彼は小説『白痴』で主人公ムイシュキンに、彼の人生最後の五分間という土壇場を語らせたのです。

  これは今のわたしたちも同じかもしれません。

 わたしたちは、最後の五分間をどう考えるのでしょう? 人はだれもが自分には時間が無限にある、と考えています。

 しかし、時間は有限、時間には限りがある、と考えたとき、おそらく今まで感じなかったこと、見えなかったことなどが鮮明にわかるような気がします。

 人間は平等に生まれ、平等に生きて、平等に死ぬ、といわれていますが、この世を去る時は不平等なものです。

 それを人は「寿命」と呼び、「天命」といいます。

 しかし、時間の長さも不平等なものです。同じ五分間がとても長く感じたり、短く感じたりと、人によって異なるものです。

 ですから、問題は時間の中身の濃さにあるのかもしれません。

 

 さて、最後の五分間をあなただったらどうしますか?

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