top of page

【97】かなしいおうち

かなしいおうち

ある山の中に一軒の家がありました。

かなり古い家なのですが辺り一面には野花が咲き誇り、春の訪れと同時に花の園となります。昔は多くの村人たちや旅人がこの咲き誇る花々を見ながら多くの人たちが楽しんでいった場所でした。この古い家はその人たちのためにあるかのように休憩場所にもなっていたそうです。

そのためこの古い家は雨が降ろうとも雪が積もろうとも、嵐が来ようとも葉を食いしばってその人たちのために耐え続けて来ました。

この古い家にはいつから人が住まなくなったのでしょうか。瓦葺の屋根、太い古材が使われている柱、広い玄関の土間、長い板張りの廊下、破れた障子や襖、室内には鳥の巣があり、親鳥は屋根の隙間から餌を運び、狸や狐たちが押入れの中で暮らしています。

広い大広間がありそこは数十人が寝泊まりできるような部屋ですが、室内はかび臭く畳の隙間からは雑草が生えています。屋根を見ると光が差し込み、太陽の光が床を照らし、その部分には名も知れぬ野草が首を出し、草花が咲いています。天井の高い部分を見るとご先祖様なのでしょうか肖像画が飾られており、明治、大正、昭和と続いた歴史がそこに残されていました。

どうやらこの家には誰もいませんが数百年も続いた由緒ある建物のようです。

家というものはその家に住む主がいなければやがて朽ち果ててしまう運命なのでしょう。

数百年、このおうちは主のために頑張って生きて来ました。彼には、主を守る、その家族たちを守るという使命があり、大地震や大水害に何度も襲われても身体全体で受け止めて、倒壊を防いできました。彼の喜びはここに住む家族たちの幸せを願い、声をかける事かできないという苦しみこそあれ、ただ静かに見守り続けるということができました。

たった二人の夫婦がこの土地に訪れて何年もかけてこの家を建て、やがて三人の子どもたちに恵まれます。その三人はこの家の中で大きくなり、それぞれが結婚して、孫たちが九人となり、合計一一人の大所帯が生活するようになりました。彼らは山を開墾し、田畑を作り、水路を作りました。この時代、家族がみな一緒に生活できるなどありえない時代でもありましたが、家族が増えるたびに彼はさらに耐え続け守り続けて来たのです。

しかし、子どもたちも孫たちも戦争が始まり徴兵となりこの家には誰もいなくなってしまいました。あれから数十年が過ぎましたが、彼は家族の誰かが必ず戻ってくることを信じ、さらに頑張り続けました。

しかし、さらに数十年、誰も戻ってきませんでした。今では周辺の村人たちも旅人たちも誰も訪れる事が無くなりました。この家まで続く山道も崩壊し、まるでジャングルの中の一軒家のように、忘れられていくのです。

人間の一生も同じかもしれません。

数十年、数百年過ぎれば人の記憶からも消えていくのですから。

そう、もう誰もこの家があることさえ知る人がいないのです。

形あるものはいつか滅びる、消え去る運命なのでしょう。

朽ち果てる寸前となった彼は考え込みました。何もできなかった人生だったけれど、何も残らなかった人生だったけれども、あの素晴らしい想い出は充分すぎるくらい記憶に残っていることでした。

笑い声と喜びの絶えない家族(主たち)、父親に叱られて泣いていた子どもたち、熱を出し朝まで看病し続けていた両親。この家でお産婆さんから取り出してもらった子どもたち、孫たち、人間は何代に変わろうが同じ愛を与え続ける事を見て来た。

人が生まれてからこの世を去るまで、また生まれて来てまた去っていく姿を彼は不思議に思っていた。何代と代が変わっていても同じことを繰り返す親や子どもたち。年老いた者はこの世の去り方を教え、生まれたての赤ちゃんたちは生き方を学ぼうとする。毎日は特段の大きな変化はなくともそこには小さな幸せがたくさん存在しており、本当の幸せはその小さな幸せが数多く集まることで大きな幸せとなることを彼は学んでいた。

彼はもう数百年生き続けて来た。

本当は彼にも夢があった。

それは家愛する人と族を持つこと、子どもに恵まれること、育てること、何よりも幸せな家庭を作ることでした。しかし、家という宿命があり家族を持つことなどできるわけがありません。良く考えて見るととても寂しい人生だったような気がしたのです。

ある日、大きな山火事が起り、辺り一面が火の海と化し家は大半が焼土となり居間の一部が残った以外はすべて焼失してしまいました。地震や水害、嵐には耐え続けて来たのですが火事にはかないません。あとはわずかに残された建物らしき残骸が朽ち果てるのを待つのみとなりました。あの時に一緒に暮らしていた最後の動物たちも誰もいなくなったのです。

あれからまた数十年が過ぎて行きました。彼はもう三〇〇歳を超えたかもしれません。彼は心から嘆いていました。それは守るべきものがなにも無くなってしまったからです。何よりも生きているという意味すら見出すことができなくなったのです。

人は死ぬことを怖れます。

どんなつまらない世であっても生きたい、生き続けたいと願います。しかし、人も守るべきものを失ったとき、生きている意味を失ったとき、それでも生き続けたいと願うのでしょうか?長く生き続けるという意味に何らがあるというのでしょうか?

大きな穴の開いた天井から空を眺めると、美しい青空、太陽の輝き、夜空の輝きが見えます。雪が降ると真っ暗な世界となります。床からは草花や雑草はもちろん、ジャングルのように木々が芽を出しやがて大きくなり、家が林の中に同化してきました。

もう、終わってもいいだろう…。

もう、何も役目はなくなった…。

あれからまた数十年。まだ生きているようだ。かみさまは死なしてはくれない。何をすればいいのだろう?彼は考え続けました。もう、建物の姿が残されていません。もう、大自然と一体となったようです。

ふと、彼は身体の一部分を見つめました。そこは床下のようですが、そこに子ネズミたちがたくさんいるのです。壊れた天井の一部分には野鳥の巣がありあの時と同じ、親鳥が餌を運んでいます。さらに彼が驚いたことがありました。床下の土間に落ちていたご先祖様の肖像画が残っていた事でした。少しばかり朽ち果てていましたがご主人様たちの肖像です。

それは、この世のものとは思えない程の笑顔でした。その笑顔はまるで彼に感謝をしているかのように、優しく、あたたかな顔なのです、彼はその笑顔を何百年も気が付いていなかったようです。

辺り一面はあの頃のように花に囲まれ、蝶が飛び、鳥がさえずり、細くなった水路からは水の音が聞こえます。

ああ、まだまだ…。

ああ、まだまだ生きる、生き続ける。

彼は心の中でそうつぶやいた。

ジャック=ルイ・ダヴィッド作『セネカの死』(1773年) (画像ソース:WikiArt)

ストア派のローマ人哲学者セネカが『人生の短さについて(De brevitate vitae)』というラテン語のエッセイで次のようなことを語っている。人生は短いか、という問いに対する彼の回答である。

「しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなるとか、どんな善いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。」

「人は生涯をかけて生きることを学ばなければならない。驚くかもしれないが、これは生涯をかけて死ぬことを学ぶことでもある。」

Recent Posts
Archive
bottom of page