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【82】100粒のドングリ

「100粒のドングリ」を植えた人

プロヴァンス地方と聞くと、田園詩的な美しいイメージを感じる人が多く、のどかな山や田舎の生活、ワインの印象が強い所ですが、ここでのお話は、人々が不毛で厳しい自然と対峙していた時代のことです。

その昔、荒れ地で無人、静寂が立ち込めていたフランスのプロヴァンス高地で、旅人が一人の老人と出会います。

老人は口数の少ない羊飼いでした。

荒れ地で、誰も見向きもしない土地で、老人はドングリの実を集めて暮らしていました。ドングリが山のように積まれると、老人はそれを小山に分け、その小山から100粒を取り出しては毎日そのドングリを植えていくのです。

老人は鉄の棒を地面に深く刺し、いくつもの穴をつくり、その穴にドングリをひとつずつ入れては土をかぶせていきました。

旅人は「あなたの土地ですか?」と質問しましたが、老人は誰の土地かも知りませんでした。ただ心を込めて、一粒ずつ毎日100個のドングリを植え、これまでに植えた約十万個のドングリから二万本の芽が出たとだけ、老人は答えました。

旅人は、なぜかその老人の姿に不思議な感動を覚えました。

この老人といると、なぜか心が落ち着くのです。

老人の名はエルゼアール・ブフィエといいました。

彼は愛する一人息子と最愛の妻を亡くし、人里離れたこの土地で羊や犬と静かに暮らしていました。

老人は、樹木のないこの土地が死にかかっていることを以前から知っていたので、この荒れ地をなんとかしようと考えていました。

旅人は、まだ若いのに人生に疲れ、生きる目的を見失っていました。そんなとき、この老人と出会ったのです。

ドングリの種はいつ実るかわからない。

おそらくこの老人が生きているうちにその成果を見ることはできないだろう。

ただ黙々とドングリを植え続ける老人の姿が、旅人の心に宿るのでした。

旅人はその後、第一次世界大戦で五年間兵役に服します。

戦争が終わると、旅人は再びプロヴァンス地方に足を向けました。

あのドングリはどうなっているだろう?

あの羊飼いの老人はどうしているだろう?

もうこの世にはいないかもしれない、そう思っていました。

しかし、老人ブフィエはまだ生きていたのです。

旅人は驚きと、喜びと、感動に浸りました。

驚くことに、老人は今もひたすらドングリを植え続けていたのでした。

それ以来、旅人は毎年かかさずこの老人に会いに行くことになります。

1947年、エルゼアール・ブフィエは89歳で穏やかに亡くなりました。

プロヴァンス地方一帯は大きく変貌を遂げて、いつのまにか多くの人々がそこで暮らし、1913年に旅人が見た荒れ果てた廃虚は消えうせ、広大で美しい森林となっていました。

これは、作家のジャン・ジオノの著作「木を植えた人」のお話しです。

フランスの荒れ果てた地を、たった一人で豊かな緑に変えた老人の物語で、日本では単行本や絵本など様々な形式で出版された有名なお話です。

この作品は1953年に誕生したものですが、今から50年以上も前に書かれたということに驚きを感じます。

この物語は、なぜこんなにも人の心に残るのでしょう?

ジオノが実在した人物を書いて欲しいと出版社から依頼されて書いた物語なのですが、架空の話だということで出版が見送られてしまいました。

そこでジオノは版権を放棄し、「木を植えた人」の原稿をいろいろなところに寄贈すると、世界中でさまざまな形で紹介されていくことになったのです。

ジオノはなぜ、実在の人物の物語を依頼通り書かなかったのでしょう?

なぜ、この物語を寄贈してしまったのでしょう?

「木を植えた人」は単なる空想、想像上の物語ではなく、とても現実味を帯びていて、事実か架空かがわからないほどの文脈を感じます。

1895年にフランスのプロヴァンス地方に生まれたジャン・ジオノの両親は、平和主義者で暴力的な運動を好みませんでしたが、ジオノ自身はファシズムに抵抗したり、反戦活動、徴兵反対運動を起こし、1939年に逮捕されたりもしました。

ジオノはプロヴァンスの山々の静けさと厳しさを、父と母の愛したこの土地をこよなく愛していていたので、後に自らもこの土地に住みつき、父親とともに荒れ地にドングリを植え続けていたというジオノの父を、羊飼いの老人として描きました。

ジオノ自身のリアルな想い出が、この物語には植えられているのです。

「もし明日、地球が滅びようとも、わたしは林檎の種を植え続けるだろう」

これはルターの言葉ですが、ジャン・ジオノの「木を植えた人」と同様です。

たった一人の力でも、森を蘇らせることはできる。

たとえこの世から自分がいなくなろうとも、わたしの心の種は育ち続ける。

人には希望があるから生きる目的もある。

そこに生きる使命と役割があることを、ジオノは伝えたかったのかもしれません。

©Social YES Research Institute / CouCou

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