【64】光の世界から光の世界へ
そこは光もない、暗い不思議な海の中でした。
私はただ、ふわふわと浮いていました。
たまに荒れるときもあるようですが、その海は静かで心地よい場所でした。
その海の中で、ただ浮いているだけの日々は何かを考えるわけでもなく、退屈さがあるわけでもなく、何かを想い出すわけでもありません。
あるとき、小さな光を感じたかと思うと、物凄いスピードで強烈な音とともに上空に吸い上げられました。
やがてそのスピードは遅くなり、私は這いずりながら光の方向に向かいます。
そこにはわずか一人分の道があり、周りはでこぼこの歪みのある通路でした。通路はとても柔らかく、ぬめりがありましたが温度はなく、ただ薄気味悪さがありました。
それでも私は光の方へ、何かに導かれるように前へ前へと進みます。
一体、どのくらいの時間がかかるのでしょうか?
昼も夜もない、長い、長い旅のようです。
わずか先の光に、私の手らしきものを伸ばし続けました。
すると突然、轟音とともに真っ白な光の中に飛び出し、初めて触れる大気の衝撃を受けながらも、するりとその世界に入り込みました。
同時に、私は大きな声を出して泣き叫びました。
私を包む光は眩しすぎて、周りを見ることなどできません。
わずかに呼吸することと、手足を動かすことはできました。
どのくらいの時間が過ぎたのかもわからぬうちに、私は食べ物を与えられるようになりました。さらに時が過ぎて耳が聞こえるようになると、目もおぼろげながら見えるようになり、声を発することができるようになりました。
自分の意志で立ちあがり、歩くことはできませんので、いつもそばに誰かがいて、おむつを交換したり、身体を洗ってくれたり、抱きかかえてくれたりと、私の身の回りの世話をしてくれます。
やがて私は、自分の足で立つことができるようになり、支えてもらいながら歩けるようになりました。しかし、自分で上手く食べることはできず、食べ物をすぐにこぼしてしまいます。おしっこも漏らしてしまいます。転ぶたびに怪我をします。叱られても自分の意志を伝えることはできません。お腹が空くと、大きな声で泣いて誰かにせがみます。
そう。私は、こうして誰かに支えてもらわなければ生きていけない、生まれたばかりの生命だからです。生まれたばかりの生命がする仕事は、ただ甘え続けることだけです。
その甘えのすべてを受け止める親たちは、愛情というもので応え続けます。
小さなコップの中の世界のようですが、とても大きく広い空間です。
時間という観念もありませんが、一時間が一日に匹敵するぐらい濃厚な時を過ごします。
やがて、長い年月が過ぎると、私に我が子が生まれました。
私は、私がしてもらったのと同じように、生まれた子どもにしました。
さらに長い年月が過ぎると、私は年老いて目も耳も効かなくなり、手足の自由も奪われて、言葉も思うように話せなくなりました。とても大切な記憶を想い出すことすらできなくなってしまいました。
一度話したことや、聞いたことをすぐに忘れてしまい、何度も何度も同じ話をしてしまいます。とても恥ずかしいのですが、自分でトイレに行けなくなり、オムツをつけるようにもなりました。
そばにはいつも誰かしらがいて、私を見守っています。
食事も一人で食べることができないので、誰かに食べさせてもらいます。
自分で立ち上がろうとすると、すぐに転んで怪我をしてしまいます。そのたびに家族に心配をかけてしまうので、私は家族に心配をかけないように努力するのですが、うまくいきません。
少しばかり精神も病んできているのでしょうね。
怒りっぽくなったり、泣いたり、叫んだり、無理なことを頼んだりと、周りの人に煩がれているのを感じます。誰も私のことを心配してくれない、相手にしてくれないと勝手に僻んでしまうのです。
いけないこととわかっているのですが、愚痴っぽくもなりました。
甘えているのですかね…。
今までのように自分が思い通りにならなくて、身体の自由も奪われて、考える範囲も狭くなり、コップの中の生活は狭すぎると感じてしまいます。
薬漬けで生きていることが、そうさせてしまうのでしょうか?
それとも私の性格が我儘になって来ているのでしょうか?
誰か教えてください…。
生きているだけで誰かに迷惑をかけているような気がして、胸の痛む日々を送っています。
自分は何のために生きながらえているのだろう…。
歳を取ると、誰もが同じようになります。
誰もが我儘を言って甘え続けて来ましたね。
人生の最後くらい、思いっきり我儘を言って、思いっきり甘えて、自由に生きてみたい。老人はみなそう考えていることを知っていますか?
わずかばかりの我儘で甘えると、子どもたちから叱られるのですが…。
年寄りは子どもに返るということを知っていますか?
赤ちゃんのような可愛らしさはありませんが、心は赤ちゃんと同じなのです。
今の私の姿は、生まれたての赤ちゃんと同じような気がします。
自分で何もできないのですからね…。
人が死ぬときには、走馬灯のように人生を振り返ることができるといわれていますが、はたして、想い出を失くした人でも想いだすことが出来るのでしょうか?
私は深い眠りにつきます。
そこは、真っ暗闇の世界ですが、怖くはありません。どこかで見た風景、昔いた空間、そう、暗夜の海にふわふわと漂っている感じです。
何と心地良いのでしょう。
あの時との違いは手や足が動くこと、記憶が鮮明で明確であること、何もかも想い出すことができること。真っ暗闇の世界は、まるで宇宙空間のように無限の広さを感じます。一人きりでも寂しくはありません。何かがそばで…誰かがそばにいてくれているような気がしますから不安などありません。
その不思議な空間では自由に動くことが出来ました。話しかけると返事がきます。でも、誰の声かはわかりません。
あるとき、暗い闇のなかに小さな光が見えて来ました。
私をその光が導き、闇のトンネルが運んでくれています。
あのときは薄気味悪い闇の塊でしたが、この闇には表情もあり、意志もあり、何によりも笑顔だということを感じます。
ゆっくりとその闇に祝福されるかのように運ばれ、やがて私は光に包まれました。
光の中は眩しくて目を開くことができません…。
しかし、耳には笑い声が聞こえ、目には明るい笑顔が見えます。
次の世界へ。
光の世界から光の世界へ。
そこには、きっと…
©Social YES Research Institute / CouCou