【62】いただきもの
りんちゃんは、捨て猫です。
生まれたときからお父さん、お母さんを知りません。
年老いたおばあちゃんに引き取られましたが、わずか一年も経たずに、おばあちゃんはこの世を去ってしまいました。
りんちゃんには、そのおばあちゃんとの想い出しかありません。
生まれてすぐに烏に目を突かれてしまったので、りんちゃんの片目は見えず、耳も聞こえません。そして、女の子なのにとても醜い顔をしています。
おばあちゃんがいなくなってからは野良猫生活となり、近所の残飯をあさるのが日課となっています。
りんちゃんは、醜く、汚く、臭く、さらに右足が思うように動かず、いつも足を引きずってヨタヨタと歩いているので、いつも子どもたちにいじめられていました。
石を投げつけたり、腐った物を食べさせられたり、中には蹴り飛ばす人もいます。
近所の子どもたちがりんちゃんのそばに行くと、親たちは「病気がうつる…」と言って、りんちゃんから子どもたちを引き離してしまいます。他人の庭にいるとホースで水をかけて追い出す人もいます。
そう、誰が見ても醜く、汚く、臭い、野良猫のりんちゃんなのです。
でも、りんちゃんは決して逃げたりしません。
嵐が去るのをまつかのように我慢しながら、静かに耐え続けるのです。
それでも、りんちゃんは人なつこく、人の気配を感じるとヨタヨタとしながらでも近づいてゆきます。
どうしてなのでしょう…。
誰もが毛嫌いして、汚れ物のようにりんちゃんを扱うのに、それでもりんちゃんは人に近づいてはとても嬉しそうな顔をするのです。
右足は自転車にひかれて折れたままです。
身体中傷だらけで、背中は血がにじんでいました。もう一つの目もよく見えません。
もう、あの優しかったおばあちゃんはこの世にいません。
でも、りんちゃんはおばあちゃんの家から離れようとしません。
いつも玄関の前で、ひとり誰かを待ち続けているのでした。
おばあちゃんがお迎えにきてくれるのを待っているかのように…。
ある時、りんちゃんは近所の犬に噛まれてしまいました。
りんちゃんは痛みに堪えながら動かずにいました。
ニャー、ニャーと小さな声を出していました。
「助けて…」と叫んでいるのでしょうか?
抵抗しないで、犬があきらめて去っていくのを待ちます。
数件離れたところに住んでいたおばあちゃんがその姿を見て助け出しました。
りんちゃんの身体は血だらけです。
おばあちゃんは、すぐさまりんちゃんを病院に連れて行きましたが、お医者さんからは助からないと言われてしまいました。犬に噛まれた傷ばかりでなく、栄養不足と脱水、さらに腎臓、膵臓、心臓病のために、手の施しようがないと言われたのです。
おばあちゃんはりんちゃんをそのまま引き取ることにしました。
りんちゃんの瞳は輝いていました。
その目はこの世のものとは思えないほど優しいきれいな瞳でした。
おばあちゃんはりんちゃんにご飯を食べさせました。
もう、死んでしまうはずなのに、おばあちゃんが出してくれるご飯を、りんちゃんは美味しそうに食べます。
でも、吐いてしまいます…もう身体が受け付けないのです。
それでも食べようとします。
おばあちゃんにお礼と感謝を込めているかのように無理して食べているのです。
そして、ご飯を食べた後には抱っこを要求します。
おばあちゃんが抱っこすると、りんちゃんはすりすりと頬を寄せて、おばあちゃんの匂いを嗅ぎだしました。きっと天国にいるおばあちゃんを想い出しているのでしょう。
いえ、そのおばあちゃんに愛を与えているのかもしれません。
りんちゃんはペロペロとおばあちゃんの手を舐めます。
でもやがて、その動きは止まってしまいました…。
とても安らかな顔をしています。
一体、この子のどこが醜いのでしょうか?
この子の一生は、不幸の連続だったのでしょうか?
おばあちゃんは、声をかけました。
耳が聞こえないはずなのに、ミャーと静かな声で返事をします。
何かを語りかけているのでしょうか?
それとも楽しい夢でも見ているのでしょうか?
おばあちゃんにはりんちゃんの言葉を感じることができました。
「愛しているよ!」「しあわせだったよ!」と、話しているように感じるのです。
りんちゃんは数日間、おばあちゃんの家で過ごしました。
その数日は一か月以上の時間に感じていたかもしれません。
おばあちゃんは言いました「ありがとう、愛してくれて…」と。
その後、おばあちゃんはりんちゃんを火葬し、元のおばあちゃんの家の庭に埋めました。
誰のことも恨まない、どんな酷いことをされても受け入れる…。
どんな人にも嬉しそうにして、喜びと愛情をふりまく、そして逃げない…。
たとえ身体中は傷だらけでも、りんちゃんの心には何も傷が残らない。
人は誰もが「愛されたい」と願います。
「愛されたい」と願うと、「愛されない」ことに対して深く傷つき、やがて恨みに変わります。「愛されたい」というのは、自己本位の寂しさを埋めるだけで、相手不在になります。
愛されるより、愛する力の方が大きな気がしますね。
りんちゃんは、愛されることよりも「愛すること」を願っていたような気がします。
誰も恨まない、誰も憎まない、誰のせいにもしない、ただ静かに愛し続けたのです。
だから、どんな人にも嬉しそうに近づいていけたのでしょうね。
目を突いた烏のことも、いじめる子どもたちのことも、水をかけた人たちのことも、馬鹿にした人たちのことも、乱暴にした人たちのことも、愛しているから逃げずにいたのかもしれません。
最期には、助けてくれたおばあちゃんに幸せをあげたような気がします。
動物たちを幸せにしてあげていると考えている人たちは、動物たちに幸せをいただいていることに気づかないような気がします。
あなたが幸せでいると嬉しい
いつまでも幸せでいてほしい
どんなときでも幸せを願う
たとえ苦しくとも、人の幸せを想う
幸せな人は幸せが見えなくなり、不幸な人は本当の幸せを感じることができる。健康な人は健康であることが当たり前になり、病気を持つ人は健康に感謝できるようになる。お金がある人はお金の喜びが少なく、お金のない人は、お金に換えられない多くの幸せを感じることができる。
私たちの人生はすべていただきもの
自分のものなど何もない
かみさまや両親からのいただきもの
多くの人たちからのいただきもの
すべていただきもの・・・