【58】91歳の老木
みーん、みーん、みん、みん。
みーん、みん、みん・・・
夏は嫌いだ、大嫌いだ。
そびえ立つ大きなイチョウの木がありました。
それは、91歳の老木でした。
(昭和2年1月8日生まれ)
しかし、その巨木は強嵐によって折れてしまいました。
(平成30年7月19日午後12時55分急逝)
木は長い間、多くの子どもたちを見守り、育ててきました。
老木の名前はヤーチャオ。
ヤーチャオの妻ヤーチャウは、根元が腐りはじめたので、数年前に地元の人に切られてしまいました。それ以来、ヤーチャオは悲しみに暮れ、生きる希望すら失っていたのです。
イチョウは、葉っぱがカモの水掻きに似ていることから、中国では「鴨脚(ヤーチャオ)」と呼ばれ、数億年前から地球に存在している不思議な木です。
(恐竜が絶滅しても生き残りました)
一人ぼっちになったヤーチャオは、自分を責め続けていました。
老木になった自分は、誰からも喜ばれない邪魔な存在だと。
91年間、ヤーチャオは人間から嫌われていました。
夏が終わる頃になると数えきれないほどの銀杏が地面に落ち、臭い匂いを放ち、晩秋には、辺り一面に葉が舞い散り、水分を多く含んでいる葉っぱは滑りやすく、火にくべてもなかなか燃え尽きません。それが、人間から嫌われる大きな理由でした。
けれどヤーチャオは、自分を嫌う人間など気にもせず、長い年月、落ちていく銀杏の子どもたちに別れを告げてきました。
ヤーチャオの身に実った何千、何万個もの銀杏は、吹く風に飛ばされて、次々と路面に落ちてゆきます。
わずかな人生を生きた子どもたちも、ヤーチャオに別れを告げます。
人間は、その子どもたちを拾い集めて美味しそうに食べたり、自分の庭や山に埋めて育てたりしてきました。
それなのに、イチョウが大きくなりすぎると、人間はばっさりと切り倒してしまいました。
ヤーチャオは、自分に問いかけました。
「何のために生きなければならないのだろう・・・長生きすればするほど、別れが悲しく辛い。ワシはなぜ、何のために生き続けるのだろうか・・・」
ヤーチャオは悩み続けていました。
しかし、答えなどありません。
「確かに、多くの人間から嫌われていることは知っている。しかし暑い夏、ワシがいなかったら道行く人間は、みな暑さのために倒れてしまう。ワシができることはわずかだが、人間のために日陰をつくることができる。それだけでも良い人生だと信じていた・・・」
そんなある日、ヤーチャオを呼ぶ声が頭上から聞こえてきました。
「おじいちゃん、おじいちゃん、孫のイチャオです。ボクの声が聞こえますか?」
「おじいちゃん、おじいちゃん、私よ、ひ孫のイチャウよ」
声が呼びかけますが、首が回らないヤーチャオは上を向くことができません。
「・・・ワシにはキミたちの姿が見えん」
「ボク、イチャオです。ボクたちはみんなおじいちゃんに感謝しているんだよ!おじいちゃんとおばあちゃん、おとうさん、おかあさんがいたから、ボクたちは生まれて来られたのだからね!」
「そう、私も同じよ。この世に生まれて、生きて、短い人生だったけど、とてもしあわせです。冬にイチョウの葉は全部なくなってしまうけど、春になるとキレイな青葉になって、やがて花が咲いて、そして真っ白い実になり、青い実になり、黄色い実になる。兄弟姉妹みんなが同じ色に変わってゆけるのよ。自然といっしょに移り変わって成長して、最期には美しい黄金色の世界を生きるのよ。こんなステキなことはないと思うわ!」
「そう、ボクも同じだよ。数千、数万の兄弟姉妹たちが一斉に語り合って歌う、素晴らしい世界にボクたちは生きている。ここはまるで天国だよ!こんなにしあわせだから、何もいらないよ。人間から見たら、ボクらの人生は短いと思うかも知れないけど、ボクたちは生きるこの時を何百年という時間に感じている。蝉たちだって同じ。短く思える人生だけど、蝉たちにしてみれば何十年もの時間。何百年もの時間があるイチョウの木と何も変わらないんだよ」
ヤーチャオは、孫たちの感謝の言葉を静かに聞いていました。
ヤーチャオはこの世を去った妻、ヤーチャウのことを想い出しました。
すると、太陽の光を浴びて黄金色に輝くいちょうの葉から、ヤーチャウの声が聞こえてきました。
「あなた・・・私よ、ヤーチャウよ。私は死んでなんかいませんよ。私はずっとあなたのそばにいますよ。子どもたちだって死んでいませんよ。あなたが結んだ数百万、数千万の子どもたちも、いつもあなたのそばにいるのよ」
「そうか・・・子どもたちはみな元気なのか・・・」
ヤーチャオの全身から嬉し涙があふれてきました。
ヤーチャウは語り続けました。
「あなたは本当にしあわせでしたか?あなたはNО(否定)ばかりの人生でしたね。人にはYES(肯定)を伝えていましたが、自分にはいつもNО(否定)ばかりでしたね。苦しくて、辛い人生でしたね・・・。でもね、子どもたちと私は、あなたのおかげで素晴らしい人生を送れたのです。それを教えてくれたのはあなたなのですよ」
ヤーチャオは驚きました。
生きてきた人生、嫌われていると信じていた人生、たくさんの子どもたちを失ったと思ってきた人生なのに、家族みんなが幸せだと言ってくれたことは、まるで雷に打たれたかのようにヤーチャオの心を震わせました。
(誰も自分のことを嫌っていいなかった・・・)。
「ワシはしあわせだったのだね・・・。YESは、すべてをありのままを受け入れることなのだね。そうか・・・ワシも受け入れよう。すべてにありがとう、と」
ヤーチャオは天に向かいYESと叫びながら、91年の人生を閉じました。
魂は永遠に消え去らないのだと信じながら、数百万の子どもたち、愛する妻ヤーチャウの元へと。
みーん、みーん、みん、みん。
みーん、みん、みん・・・
夏に感謝しよう。
私は、朽ちた老木に手を合わせました。
その姿は、とても安らかで優しいものでした。
私もヤーチャオが嫌いでした。
どうしてかというと、出会ってからの40年間、ヤーチャオからいつも怒られていたからです。人の前で恥をかかされることも多く、この人はなんて冷たい人なのだろうと思い続けていました。しかし、それでも40年間付き合い続けたのですから、思いとはまるで裏腹に接してきたことになります。
この年月、ヤーチャオからNОを突き付けられた多くの人たちは、涙と共に離れていきました。ヤーチャオを理解できずに・・・。
私にとってのヤーチャオは、いったい何だったのでしょう?
反面教師だったのでしょうか?
父親だったのでしょうか?
兄貴?先輩?友人?
いまだにわかりません。
私が嫌っていたのですから、きっと、ヤーチャオも私を信じていなかったでしょう。
私の頬を伝う涙は寂しさからなのでしょうか?哀しさからなのでしょうか?
いま私は、自分の心理状態を分析することができません。
ヤーチャオを通じて何千人もの人たちと出会い、別れてきた私。
ふり返えってみれば、離れて行った人々もみなヤーチャオの子どもたちであり、ヤーチャオ学校の門下生でした。
亡くなる数日前、ヤーチャオは私の名前を呼び続け、実子に何度も私に会わせてくれと頼んでいたそうですが、何を私に伝えたかったのでしょう。
私にはヤーチャオの「ありがとう・・・」という言葉が聴こえています。
私も「ありがとうございました」と伝えたい。
どんなに欠点だらけのヤーチャオであっても、長い間、子どもたちを見守り続けてきたことは事実なのです。だからきっと、そんなヤーチャオを私は好きだったのかもしれません。
そうしてまた、今年も黄金に包まれるイチョウの季節が訪れる。
©Social YES Research Institute / CouCou