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【56】「憂患に生き、安楽に死す」

憂患に生き、安楽に死す

誰もが恐怖心を持ち、恐怖心の中で生活をしている。

その「錯覚」や「妄想」を取り払うにはどうしたら良いのでしょうか?

それは、目の前に起きている現象だけに心を奪われてはならない、ということです。

イエス・キリストは今から2000年前にこう語りました。

イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこでイエスは口を開き、教えられた。

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。

柔和な人々は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。

義に飢え渇く人々は幸いである、その人たちは満たされる。

憐れみ深い人々は幸いである、その人たちは憐れみを受ける。

心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る。

平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

義のために迫害される人々は幸いである、天の国はその人たちのものである。

わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。

「天が重大な任務をある人に与えようとするときには、必ず、まずその人の心を苦しめ、その人の筋骨を疲れさせ、その肉体を餓え苦しませ、そのすることなすことを失敗ばかりさせて、そのしようとする意図と食い違うようにさせるものなのです。これは、天がその人の心を発奮させ、性格を忍耐強くさせ、こうして今までにできなかったこともできるようにするための貴い試練なのです」

孟子は、紀元前300年ころの人である。

孟子は言う。

「舜(しゅん)は、田畑を耕す農民から身を起こし、ついに天子となりました。傳説(ふえつ)は、版築(はんちく)城壁作り(一説に、道路工事)の土方から抜擢され、殷(いん)の第22代の王・武丁(ぶてい)の大臣となりました。膠鬲(こうかく)は、魚や塩を扱う商人でしたが、文王に抜擢され、殷の紂王(ちゅうおう)に仕えました。管仲(かんちゅう)夷吾(いご)は、下級役人に捕まり罪人となりましたが、救い出されて斉(せい)の第16代の王・桓公(かんこう)の大臣となりました。孫叔敖(そんしゅくごう)は、海辺の貧しい生活から楚(そ)の第6代の王・荘王(そうおう)に取り立てられて、大臣となりました。百里奚(ひゃくりけい)は、身分の低い市民の身から、秦(しん)の第9代の王・穆公(ぼくこう)に挙げ用いられて大臣となりました。

『孟子』告子・下篇の一文より

これら古人の実例からも分かりますが、天が重大な任務をある人に与えようとするときには、必ずまずその人の心を苦しめ、その人の筋骨を疲れさせ、その肉体を餓え苦しませ、そのすることなすことを失敗ばかりさせて、そのしようとする意図と食い違うようにさせるものなのです。

これは、天がその人の心を発奮させ、性格を忍耐強くさせ、こうして今までにできなかったこともできるようにするための貴い試練なのです。

いったい人というものは、多くの場合、失敗を経験してこそ、はじめてこれを悔い改めるもので、心に苦しみ、思い悩んでこそ、はじめて発奮して立ち上がり、その苦悩が顔色にも表れ、うめき声となって出てくるようになってこそ、はじめて心に解決方法を悟ることができるのです。

国家もまた人と同じで、国内に代々掟を守る譜代の家臣や、君主を補佐する賢者が見当たらず、国外には対立する国や外国からの脅威がない場合には、その国は自然と安楽に流れて、ついには必ず滅亡するのです。

以上のことを考えてみますと、個人にしても国家にしても、憂患(心配ごと)の中にあってこそ、はじめて生き抜くことができるのであって、安楽にふければ必ず死を招く、ということがよくわかります」

憂患に生き、安楽に死す

上記の言葉を一言でいえば、

「憂患に生き、安楽に死す(憂患に生まれて、安楽に死す。生於憂患、死於安樂)」

となる。

この孟子の言葉を噛みしめながら、この逆境を乗り越えたいと思う。

©Social YES Research Institute / CouCou

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