【47】35の「いのち」とともに
中国浙江省金華市に、楼小英(ロウ・シャオイン)さんという女性がいました。
楼さんは、道に捨てられているゴミを拾いで生計を立てています。
若くして夫に先立たれ、日々これといった夢や目標があるわけではなく、ただ生きるためにゴミを拾う毎日でした。
そんな楼さんの人生を大きく変える出来事が起こったのです。
1972年のある日、なんとゴミの中から女の子を拾ったのです。
もちろんどこの誰かはわからない捨て子の赤ちゃんでした。
可愛らしい赤ちゃんは楼さんの顔を見て泣きだします。
日本の昔話「かぐや姫」ならばロマッンチックな話しかも知れませんが、楼さんは、ここから壮絶な人生を送ることになるのでした。
楼さんには一人娘がいました。
それまでは娘が唯一の生きがいの楼さんでしたが、一人娘と同様に拾った赤ちゃんも我が子のように愛し、育てることにしました。
「もし、私があの時この子を拾わなかったら、彼女は死んでいたことでしょう…」と、楼さんはその時の心情を語っています。
家族が増えたことで、楼さんに新たな希望が芽生えたことは明らかでした。
娘と二人きりだった生活に新たな家族が仲間入りし、赤ちゃんの世話、成長する姿、娘たちの笑顔・・たとえ血がつながっていなくても、三人家族になったことは楼さんにとって最高の喜びでした。
ゴミ拾いの生活の中、3人、5人、10人・・
次から次へと捨てられた「いのち」と出会い続ける楼さん。
捨てられた子供すべてを育てられないない楼さんは、友人や親戚の家に預けて、一時的に面倒を見てもらいながら、どの子も実の子と同じように育てました。
そして、40年間で35人にも及ぶ子供たちを拾い、救い、助け、大切に育て上げていきます。
82歳になったときに、小さな赤ちゃん張麒麟ちゃんをゴミ箱の中で発見した楼さんは、一瞬ためらいました・・高齢となり病に苦しんでいたからです。
「私はすでに年老いていましたが、その赤ちゃんを無視し、ゴミ箱の中で死なせることなんてできませんでした…。赤ちゃんはとても可愛らしく、そして、とても苦しそうでした…。私はその赤ちゃんを助けなければ、と思いました…」
楼さんはそう語りました。
拾った娘を結婚できるまでに育てた。
子供たちが成長していく様子を見るのが、私の幸せ。
そして気づいたのです。
子供たちの世話をすることが、私が心から望んでいたことだと。
88歳になった楼さんは、腎不全のために入院生活を送っていましたが、楼さんの願いは、まだ幼い麒麟くんを学校へ通わせることでした。
ゴミ拾いの貧しい生活の中で、二人の女の子を中学まで行かせましたが、それより年上の三人の子供たちは学校に行かせることができませんでした。
それが唯一の心残りだったので、何としても麒麟くんを学校に行かせたかったのでしょう。
「人生があとわずかになった私が、今最も望んでいることは、7歳の麒麟が学校に行くことです。もしそれが実現したなら、人生に悔いはありません」
楼さんに拾われ、育てられた張晶さんは、マスコミに次のように話しました。
「あの頃、母はゴミを拾うため真夜中にも出かけていました。私たちが寝た後に。そして明け方、まだ明るくなる前に帰ってくるのです。当時の私たちは、大根、かぼちゃ、それからサツマイモなどを食べていましたが、母自身は食べることをほとんどしませんでした。私たちがお腹いっぱいになるまで食べさせて、その後やっと母がわずかに食べます。私たちが満腹になるのを見て、『これで安心して自分も食べられる』と思っていたのでしょう」
「たとえば、12個の飴を三人の子どもに分けるとき、母は均等にその飴を子供たちに分け与えました。母には実の娘がいるのですが、拾ってきた子と分け隔てなく接するのです。えこひいきなんてしません。自分の子供だけいいものを着させようとか、たくさん食べさせようとか、そんなことは一切しませんでした」
「母が病気になるとは誰も想像していませんでした。私たちは今でも母が100歳まで生きると思っています。母がもっと長生きしてくれれば、私たちは母ともっと同じ時間を過ごすことができます。もし、母がいなくなってしまったら『お母さん』と呼べる人が本当にいなくなってしまうのです」
中国のニュースで報じられたこの話は多くの人の心を打ち、またたく間に入院費を援助するための募金サイトが立ち上がりました。
中国では、捨てられた子供は戸籍がないので学校に通えません。
戸籍の関係で小学校への入学が厳しいとされてきた麒麟くんでしたが、楼さんの生き様に感銘を受けた地元の公的機関が戸籍問題の解決へと動き出したのです。
それに呼応して、金華市の小学校は麒麟くんの入学を認めました。
楼さんに感銘を受けた校長先生は、
「これは楼さんの人生最後の望みであり、我々はそれを叶える手助けをしなければいけません」と、熱い気持ちを語っています。
年長の子供たち全員が力を合わせて、麒麟くんを育てたそうです。
楼さんが伝えたいこと・・・
「私たちにゴミを集めてリサイクルする力があるのなら、
人の「いのち」のような大切なものもきっと「再生」できるはずです。
捨てられた子供たちは、愛情と保護を必要としています。
彼らはみんな大切な「いのち」なのです。
どうしたら、こんなにか弱い赤ん坊たちを捨てられるでしょうか・・」
出典元:rocketnews24.com
2014年8月8日。
多くの子供たちに見守られながら、楼さんは静かに息を引き取りました。
我が子を捨て、虐待し、殺す世の中。
簡単にいのちを捨てる世の中。
日本だけでなく、世界中で「いのち」の尊さが失われつつある現在。
楼さんのように愛情深い人はいるでしょうか?
捨てられる「いのち」。
我が国では、年間250人の子供が捨てられています。
子どもが欲しい、孫が欲しい…。
この世を去る前に、一目だけでも孫の顔を見てみたい…
そう願う人々にしてみれば信じられない事実といえるでしょう。
世の中には、欲しくても子供ができない夫婦もたくさんいるのです。
経済成長を続ける中国では、一年間に10万人もの子供が捨てられる実態があります。
2014年。楼さんが逝ってしまった年に、深刻な捨て子問題を抱えた中国は、赤ちゃんポストを開設しました。しかし、すぐに赤ちゃんポストはパンク状態となりました。
地元メディアの報道によると、開設からわずか11日間で106人もの赤ちゃんが児童福祉院に預けられたといいます。
©Social YES Research Institute / CouCou