【43】写真に映るわたし
90才を迎えた老人は足が弱くなってきたので、家族の勧めもあり、筋力アップのためにリハビリセンターで年下の人たちや同じ世代の人たちと一緒にトレーニングを受けることになりました。
高齢者のためのリハビリですから、その場所には、様々な障害を持ったお年寄りがたくさんいます。しかし、彼はその仲間に入ろうとしません…。
不思議に思った理学療法士がその老人に話しかけました。
「吉田さん、どうしたのですか?皆さんと一緒に運動をしませんか…」
すると、老人はこう答えました。
「ここにいる人たちは年寄りばかりだね…。あそこの人は車椅子だし、その隣の人はベッドに横たわったまま、それに点滴をうけている人もいる。ずいぶん重症な人ばかりだね…」
「…どうですか、ご一緒に体を動かしませんか?」
遠慮しているのか、恥ずかしいのか、老人は窓から見える庭を眺めているだけでした。
「さあ、みなさん、おやつの時間ですよ」
老人は、目の前に出されたお菓子にも手をつけません。
もう家に帰りたがっている様子です。
「おやつの時間が終わりましたから、みなさんと一緒にグー、チョキ、パーをしてみましょう」
老人は、そこにいる老人たちの姿をただ眺めるばかりでした。
彼は自尊心が高く、頑固で他人の意見を耳に入れない性格で、家族からリハビリを名目に老人ホームに捨てられたという恐怖心を持っていました。ですから、人の話や意見を素直に聞き入れることができません。
リハビリテーションセンターでの一日が終わり、家に帰りました。
帰りを待っていた家族たちは、老人に今日の感想を聞こうと質問をしました。
「おじいちゃん、今日はどうでしたか?楽しかったですか?友達はできましたか?」と。
すると、「…年寄りばかりだった!ああはなりたくないな…」と老人は答えるのです。
そのリハビリセンターには、70歳代から80歳代の人たちが多く、そのなかで彼は最年長者でした。
「…なんだか子ども扱いされているような気がして、少しばかり気分が悪い。何よりもあんな連中と一緒にされたらかなわない…」
ずいぶんと不満な顔をしているので、家族たちは少しばかり不安になりました。
老人はバックからプリントを出しました。
それは、初めての参加した日の記念にと、スタッフが撮影してくれたリハビリテーションセンターでの記念写真でした。
老人はメガネをかけて、改めてその写真を見ました。
家族の人たちもその写真をのぞき込み、
「わあ!…みんな楽しそうだね、笑顔が素敵だね…」
老人はさらに拡大レンズを取り出して、一人ひとりの姿を見はじめました。
「…うーん、確かに楽しそうだ…。私一人だけ、ふてくされているような顔をしている…」
「でも、隣のおばあちゃんもおじいちゃんも、みな優しそうだね…」
老人は押し黙ってしまいました…。
次の日から、老人は勤めて笑顔を見せるようになり、自主的にリハビリに参加し、ゲームを楽しみ、筋力アップの運動に精を出すようになりました。
老人は、理学療法士の女性にこんな話をしました。
「私はいつも人を見てきました。しかし良く考えてみたら、私自身を見る機会があまりありませんでした。見ている自分、見られている自分、二つの自分がいることがわかりました。私は老人なのに、老人ということを認めていませんでした。ですから、ここにいる老人たちを見て、ああいうふうになりたくない、私はあの人たちとは違う…と信じていたのです。しかし、昨晩の記念写真に写った自分の姿を見て驚きました…。自分は老人になっていたのです。自分は老人だったのです。嘘みたいな話ですが、私はこの写真を見るまで自分の姿がわからなかったのです。一緒にいる彼らは笑顔で、最年長である私にエールを送ってくれていたのがわかりました。一緒に生きて行こうね、そう聞こえました…。そして、いちばん年上の私を尊敬のまなざしで見ていてくれたのです…。私はみんなのためにもっと長生きをしようと思いました。私に多くの支えてくれる友だちができました…」
彼は、涙を流しながら語り続けました。
©Social YES Research Institute / CouCou