【44】わかれのうた
- ひかる 富樫
- 2018年6月18日
- 読了時間: 4分
ぼくは魚です。
ちいさな、ちいさな魚です。
名前はルイといいます。
もとは人間でしたが、神さまにお願いして魚にしてもらいました。
ぼくは念願だった海のなかを深く、深く泳ぎます。
海のなかから見る太陽の輝き、星と月の光はとても美しいものでした。
サンゴ礁は色あざやかで、やさしくゆれる海草はぼくの心を和ませてくれます。
ぼくは魚です。
ちいさな、ちいさな魚です。
神さまにお願いして魚になりました。
群れをなして泳ぐ魚たち、ひとり自由に泳ぐ魚たち…。
魚に生まれ変われば、静かな海の底で思い通りに生きることができる。
そこは、ぼくが長いあいだ夢に見てきた世界でした。
長いこと、ひとの喧騒のなかで生きてきたぼくは、碧い海を天国のように思っていました。
ぼくはだれとも違う道を選ぶことにしたのです。
なにからもしばられずに「自由」になりたかったのです。
だから、神さまにお願いしました。
そして願いは叶い、魚になることができました。
これでもう、だれからも命令されることもなく、だれに遠慮することもありません。
ぼくの、ぼくだけの世界。
ここに、ぼくを知るものはいません。
毎日、波まかせ。
流れに身をまかせて、楽しい人生を味わうことができるようになりました。
どうして、ひとりが好きかって?
どうして、魚に生まれ変わりたかったのかって?
それはね…別れることがないからさ。
ぼくはね…
愛するものたちと別れるのが辛いのさ…。
家族がいれば、いつか離ればなれになるでしょ…。
お父さんやお母さんだって、いずれこの世からいなくなるでしょ…。
妻や子どもたちだって、やがて離れる運命だもの。
そんな辛い別れをくり返すのはもううんざりだからね…。
ひとだったころ、ぼくはたくさんの愛するひとたちと別れてきました…。
別れのたびにいつも考えました…みんなどうして、ぼくを置き去りにしていくの…って。
とても寂しかった。
だから次に生まれるときは、別れの悲しみのない海に生まれ、自由に生きたいと願いました。
でも…
魚たちは同じ場所で、同じような方向を泳ぎつづけて、同じように生きて、同じようにこの世を去っていく…まるでひとと同じ。
魚になってから、どのくらいのときがすぎたでしょう。
ぼくは歳をとり、尾ひれも自由がきかなくなりました。
歳とともに動きが悪くなり、目も見えにくくなりました。
ぼくの前をぼんやりと通りすぎていく魚たち。
だれもぼくに気づきません。
きっと、もうぼくは、なんの役にも立たないのでしょうね…。
ぼくは、ゆらゆらと波に流されつづけています。
こうやって、いつかこの世から消えるのでしょうね…。
今日も目の前を魚たちが通り過ぎていきます。
友だち同士なのかな?
家族なのかな?
楽しそうに笑ってる。
しあわせそうに泳いでる。
ちいさな魚は子どもたちなのかな?
お母さんの後を一生懸命に泳いでる。
信じ合っているんだね。
寄り添っている魚たちは恋人同士なのかな?
とおい未来を夢みて泳いでる。
愛し合っているんだね。
ぼくの涙を波が拭いていくけど、悲しいんじゃないよ。
この想いは、いったいどこからくるの…。
いつかはみんな別れていくのに、
なぜ信じられるの?
なぜ愛せるの?
ぼくにはだれもいません。
信じるだれかも、愛するだれかも。
だれもぼくのことを知らないのだから。
さあ、もうすぐお別れです。
でも、ほんとうに、これでよかったのかな…。
すると突然、たくさんの魚たちがやってきて、ぼくの真上をぐるぐると回りながら輪をつくり始めました。
輪は上へ上へと向かい、長いトンネルに変わっていきます。
毛布のようにやわらかい波が、ぼくの全身を包み込んでゆきました。
天空まで届くかのような渦に抱かれながら、ぼくは昇っていきます。
そこがもうどこなのかもわからない、色も音も時間もない世界。
長い、長いトンネルに光が反射して、かがやきが果てしなくふくらんでいました。
ああ、なんて美しいんでしょう…。
ぼくのいのちの終わり。
だれとも別れたくない、離れたくないと思って生きてきたのに、ぼくは、ぼくと別れていくのです。
だれにも知られず、だれからも愛されていないと信じていたぼくを、たくさんの魚たちが祝福の輪をつくり、見送ってくれているのです。
別れのない人生など、どこにもないのですね。
ああ、あの頃に戻りたい…。
ああ、もう一度生まれ変わりたい…。
ああ、もう一度、ぼくはひとになりたい…。
別れがあるから人生はかがやき、うつくしいときになる。
別れのなかに、いのちの喜びがある。
最期の時が、ぼくにそう教えているようでした。
ぼくは別れを恐れていた…。
ぼくは悲しみを恐れていた…。
別れの悲しみのなかに感謝があり、いのちの祝福があるんだ。
ああ、あの頃に戻りたい…。
ああ、もう一度生まれ変わりたい…。
ああ、もう一度、ぼくはひとになりたい…。
そして、
だれかを信じたい。
だれかを愛したい。
ぼくの名前は喜びの涙、ルイ。
両親がつけてくれた名前。
最期に、ぼくは神さまにもう一度だけお願いをしました。
©Social YES Research Institute / CouCou
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