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【37】願わくば花の下にて春死なむ

「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ」 西行法師

叶うことならば、春満開の桜の木の下で死にたい。お釈迦様が亡くなられた2月25日、満月が照らす日に…という意味です。

西行は生涯に愛した桜の木の下、満月を仰ぎながら釈尊と同じ日に死にたいという想いを歌に込めました。そして、その通りにこの世を去りました(享年73歳)。

歌は人々に知れ渡っており、西行の想い通り、建久元年(1190年)旧暦2月16日に亡くなったことを伝え聞き、都では大騒ぎになったといいます。

三国志の物語では、劉備の部下である関羽と張飛は、

「生まれた日は別の日だが、死ぬのは同じ日に!」と誓い合いました。

最近、次の話を知りましたのでお伝えします。

◇2008年2月9日、米国サウスダコタのケント&ダイアナ・クラフト夫妻が、二人寄り添うように倒れているところを発見されました。

妻のダイアナさんは筋委縮性側索化症(ルー・ゲーリック病)で闘病生活をしていました。夫のケントさんに病はありませんでしたが、突然の心臓発作で亡くなったそうです。二人は、ケントさんが大学生のとき、看護師のダイアナさんと知り合い恋に落ちたのです。同じ日の同時刻に亡くなった二人は、生まれた日も同じ1941年9月2日生まれでした。同じ日に生まれ、同じ日にこの世を去る・・不思議だと思いませんか。ケントさんはダイアナさんを追いかけて逝ったのでしょうか・・。

◇2011年。米オハイオ州の94歳の夫ゴードン・イェガーさんと90歳の妻ノーマ・イェガーさんは、結婚72年目に、二人して街に出かけた途中、事故に遭い亡くなりました。

家族に見守られながら、二人は事故に遭いながらも互いの手を離さずに、午後3時38分にゴードンが息をひきとると、1時間後の午後4時38分にノーマは夫の死を見届けるかのように、静かに息をひきとりました。

(看護師は二人の手を離さず、同じ集中治療室に入れました。二人の意識はないままでしたが、けっして手を離そうとしなかったそうです。)

二人の四人姉妹の末っ子デニス・イーガンさんは、

「かなり古くさい話ですが、両親は死ぬまで一緒だって信じていました・・。」

「妻が離れない限り、自分も妻のそばを離れない。おそらく妻だって同じことを言うはずだ。」生前の父ゴードンの想いを語っています。

家族の話によると、ゴードンは息を引き取った後も、心臓モニターが動いたままだったそうです。息をしていないのに、どうして心臓が動いていたのか?看護師に確認しましたら、二人が手をつないでいたので、母ノーマの心音が伝わっていたのだといいます。もしかすると、二人は別の世界に出発する合図を送り合っていたのかもしれません。

子どもたちは、手をつないだ状態で二人を棺桶に入れました。その後は火葬して灰を一緒にしてあげたそうです。

◇2013年8月11日。結婚65年目の米オハイオ州のハロルド・クネッケさん91歳とルース・クネッケさん89歳は、同じ日に11時間差で、老人ホームの二人が使っていた部屋で亡くなりました。数日後が66回目の結婚記念日でした。

◇2013年。75年目の結婚記念日を迎えたばかりのレス&ヘレン・ブラウン夫妻は、誕生日が同じでした。1918年12月31日生まれで、年齢も誕生日も同じでした。そして、亡くなる時もほぼ同じだったのです。

二人は高校時代からのつきあいでした。二人は愛し合っていましたが、両親から大反対され、1937年9月19日に駆け落ちしました。

長男のレス・ジュニアさんは、

「二人は75年間、毎日一緒に過ごしていた」と語り、末っ子のダニエルさんは、「母は『レスが死ぬところを見たくない・・』」といい、「父は『ヘレンなしには生きていたくない・・』」と、口癖のように言っていたといいます。

しかし、レスさんはパーキンソン病、ヘレンさんは胃がんとなり、7月16日に妻のヘレンさんが亡くなり、夫のレスさんは翌日の7月17日に亡くなりました、二人とも94歳でした。

◇2016年。フィンランドのドッグさんは、愛する人と離ればなれになりました。愛する人はキウラといいます。

どうして別れてしまったのかというと、ドッグさんは事業で失敗し膨大な返済があり、一緒にはなれなかったのです。キウラさんはそれでも一緒に暮らしたかったのですが、ドックさんは誰にも迷惑をかけたくなかったのでしょう。一緒に暮らすことを断念したのです。

何よりもキウラさんの幸せを優先したのでした。

やがてキウラさんは別の人と結婚しますが、ドッグさんのことを忘れる事ができません。子どもは三人生まれました。傍から見れば幸せそうに見えたかもしれませんが、心の中はドッグさんのことが心配でなりませんでした。

ドッグさんはとても孤独でした。彼は毎日キウラさんのことを思い出していました。

ある日、ドッグさんのもとへキウラさんから手紙が届きました。

手紙には「あなたのことを毎日思い続けて来ました・・でも、もうこれからそれもできなくなります・・」

キウラさんは、ドックさんの事を誰にも話してはいませんでした。夫にも子どもたちにも・・。

「私は、もうすぐこの世を去ります・・」病院からの手紙でした。

ドックさんは、涙が止まりません。キウラさんとの想い出のすべてが蘇りました・・。

けれど二人は話すことも、手を握り合う事もできません。

彼は、自分が死んだらフィンランドの湖に灰を捨ててほしいと友人に頼みました。その理由は、キウラさんの手紙に「フィンランドの湖に沈みます・・」と書かれてあったからです。

そこは、二人の幸せだった想い出がたくさん眠る場所でした。

数日後、ドックさんは心臓発作で亡くなりました。

キウラさんも同日、同時刻にこの世を去ってしまいました。

さらに、同日ドックさんの友人が遺灰を湖に流し、同時刻にキウラさんの子供たちが遺灰を湖に落としたのです。

これは、単なる偶然なのでしょうか・・。

◇2009年。揚子晩報という中国の新聞にこのような記事がありました。

江蘇省儀征市に暮らす老夫婦、李令国さんと魏修珍さんは18歳で結婚しました。

日々、二人で野菜を植え、家畜に餌をあげ、稲を収穫する生活を何十年も送り続け、周囲の誰もが羨むほどの仲の良さでした。

しかし2006年、妻の魏さんが脳卒中で倒れてしまったのです。

工場に住み込んで働いている息子たちに心配や迷惑をかけることができず、さらに経済的に余裕もないため、李さんがつきっきりで魏さんを看病していました。

やがて、魏さんは言葉を話すことができなくなりました。

しかし、言葉がなくとも李さんには何もかもわかっていました。

二人には二人の歴史があったからです。

「水が飲みたい・・」「寝返りをしたい・・」「苦しい・・」「辛い・・」すべてが手に取るようにわかります。

3年の看病生活が続いた年の6月、李さんの身体に異変が起こり始めたのです。

長い看病の疲労がピークに達したのか、栄養不足なのか、膝関節の痛みが酷くなり歩けなくなりました。

二人はベッドに横たわりながら、心と心を通い合わせ、手と手を握り合い、お互いを励まし続けました。

しかし、それから数か月後の11月13日に、夫の李さんはベッドの中で亡くなりました。

悲しみにくれた魏さんは、李さんの後を追うかのように、その3時間後に亡くなりました。魏さんの枕には、たくさんの涙の跡が残されていたそうです。

ともに83歳。この日は二人の65回目の結婚記念日でした。

李さんと魏さんは同じ年に生まれ、同じ日にこの世を去りました。

©Social YES Research Institute / CouCou

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