【38】越中富山のくすりやさん
朝6時起床、辺りはやや明るい。とても静かな朝。
今日は7月1日、以前から依頼のあった講演会の日です。
ずいぶん遠い行先。
購入した新幹線のチケットは往復25.000円。初めて出向く富山県。
聴講者は約250人。行政の職員研修を行うことになりました。
もちろん、著作権の講演会。
ここ数年、行政関係の講演会が多くなりました。
日本全国の都道府県、市町村のほとんどがトラブルだらけだといいます・・。
そのためか、私の出番が多くなったのでしょう。しかし、いつも時間が少なく、著作権の講演はむずかしいもの・・ただの法律論では聴講する人々にはつまらないからです。
大学の教授や法律家、文化庁等の関係者などの話しは法律論が多く、何よりもギャラが高い。その点、NPO法人団体ならギャラも安く、私などにも日本全国から声がかかるのでしょう・・。
まあ、どちらにしろ、毎度の出張は楽しみなのですが、今回はちょっと遠い・・。
私の住む八王子からは、JR高尾駅から東京駅まで約1時間。東京駅から新幹線で富山駅までは約3時間。片道約四時間、往復約八時間、やっぱり遠い・・。
実際の講演会の時間は午後3時から5時までの2時間。
毎度のことですが、絶対遅れは許されません・・。
ですから、講演会はいつも怖いのです。
講演会は怖くはないのですが、大勢の方々が待っている訳ですから、遅れたら大変です。そのため到着するまでいつも怯えています。
今朝は事務所を午前7時に出て、午前7時30分の電車で高尾駅を出発しました。
予定通りなら、富山駅に12時30分には到着するはずです。
早く着くから富山見物でもしようか??
しかし、人身事故を告げるアナウンスが・・。
人身事故に続いて車両故障。
三鷹駅からは、まったく電車が動かなくなってしまったのです。
東京駅を新幹線が発車するのは9時30分です。
これでは、まったく間に合いません・・。
現在9時30分。最悪の状態。
次の新幹線は10時12分発。それに間に合わなければ、次は11時30分発になってしまう。内心ずいぶん慌てましたが、ぎりぎり10時の新幹線に間に合いました。
出発から約3時間が経過しました。
幸いにも午後1時40分に富山駅に着き、2時20分には富山県庁舎に着きました。
3時から著作権講演会が始まり、あっという間の2時間を終了しました。
息つく暇もないまま、再び富山駅。土産も何も買えません・・。
毎度のこととは言え、相変わらずの強行軍です。
午後5時30分富山駅発。
東京駅着午後9時30分。在来線に乗り換えて、高尾駅着午後11時20分。
ここでまたしても時間ロス。なんと帰りのJRのダイヤは大幅に乱れ、約2時間30分もかかり、行きが約4時間、現地滞在時間約4時間(講演2時間)、帰り約5時間30分。なんと合計13時間30分もかかりました・・。
講演会わずか2時間のために・・。
しかし、まあ、無事に終わりホッとしました。
ほんのわずかでしたが、生まれて初めての富山の地でした。
富山駅の前に不思議な銅像がありました。
駅前でもあまり人通りはなく、銅像はひっそりと佇み、何かを語りかけていました。
その銅像は等身大のブロンズ像「富山のくすりやさん」です。
一体は風呂敷で包んだ柳行李(ごうり)を背負い、道を急ぐ姿です。
もう一体は訪問先で懸場帳を開き、そばに紙風船を大切そうに持つ子供の姿でした。
明治から戦後間もない時期の懐かしい「売薬さん」の姿を伝えていました。
実はこの講演会の前に、担当者からこんなメモを頂いていました。
《行商員心得十則》
富山県民会館分室館「薬種商の館・金岡邸」の富山薬売り業の特徴の一節より。
(一) 戊申詔書(ぼしんしょうしょ)の聖旨を奉體(ほうたい)し忠實(ちゅうじつ)、業に服し國恩報謝(こくおんほうしゃ)を心懸けよ。
(二) 自己の亨くる幸福は得意家の賜(たまもの)と心得て常に之を感謝せよ。
(三) 得意家は一時に非す永久の顧客なれば尊重して親切を尽くせ。
(四) 懸場帳等の記載は明瞭に、計算は正確にし過誤なきを期せよ。
(五) 仕事は豫(あらかじめ)準備し其日其日之を完了し翌日に延ばすな。
《四つの柱》
(一) 感謝報恩
(二) 先用後利
(三) 心説薬救(しんせつやっきゅう)真心をもって説き、良薬で苦しみを救う。
(四) 士魂商才(士の魂をもって商才を発揮する)
「先用後利」とは、まず薬を先に使ってもらって感謝され、その後に利益を得るという考え方です。先用とは、相手の健康を思いやって薬を渡し、肉体の苦しみを取り除いてあげ、その後に感謝の報酬を受ける。人々に奉仕しよう、ということが初めにあるという考え方です。
(へえ・・富山県の担当者は素敵な土産をくれた。粋だねえ・・ありがたい。)
私は子供の頃を思い出しました。
大きな包みを担ぎ、玄関に座り込んで母と話している越中富山のくすりやさんの姿。
額の汗を拭いながら、大きな笑顔で風呂敷から箱を出し、置き薬を置いていきます。
楽しみは、なぜか子供たちに紙風船を置いていくことです。
その紙風船は子供心に随分と楽しみでした。
くすりやさんは一年に一回か二回くらいしか来ません。
ついつい待ち遠しくもあった子供時代。
失礼ながら、もう滅びてしまったのかと思っていいたら、そんなくすりやさんは現在も続いていました。
何も観られなかった富山県。
聴講してくださった多くの方々から頂戴した拍手と「富山のくすりやさん」のメモが、私の大切な宝物になりました。
「また、呼んで下さい」と言いたくなる、そんな土地柄でした。
©Social YES Research Institute / CouCou