【11】4分33秒の世界
みなさんは「4分33秒の世界」を知っていますか?
これは、「4分33秒」という曲の題名です。
作曲者はジョージ・ゲージ。彼は、〈無音音楽〉というものを作りました。
彼は、いつものようにピアノの前に座ました。
多くの聴衆の前で演奏が始まります。聴衆者たちは一斉に静まり返りました。
これから演奏がはじまるというのに、音はありません。演者はピアノの鍵盤のフタを開けるときが楽章はじまりで、閉めるときは終わりになります。
この「4分33秒」という曲は、ピアノの前に演者が座りますが、〈何の音楽も奏でない〉曲です。しかし、それを曲と呼べるのか、呼べないのかは聴衆に判断をお任せするのです。この曲はレコードやCDとしても発売されている者です。もちろん、著作権のある曲のため著作者の許可なく無断で使用することはできません。
しかし、みなさんは不思議に思うでしょうね。
演奏しないのに、曲が流れないのに著作権があるということを…。
そのため、この音楽は賛否両論に別れ物議を醸しだしている曲のひとつといえます。
さて、演奏がはじまりました。
演者はピアノのフタを開け、譜面を置きます。その間、演者のフタを開ける音、譜面を取り出す音、演者の呼吸がわずかに感じます。視聴者の呼吸音なども聞こえそうなくらい大きな会場全体は静寂に包まれます。
聴衆は何を想い、何を考えているのでしょう…。
何に期待を寄せているのでしょう…。
すると、会場から音が聞こえてきました。もちろんピアノを弾いているわけではないのでピアノの音ではありません。それは、会場に設置してある空調機の音でした。この音は、他の演者が演奏しているときにはまるで聞こえなかった音です。さらに、会場にいる人たちの呼吸音、身体を動かす音、洋服が擦れる音、鼻をかむ音、咳の音です。
しかし、それだけのことでは意味のある演奏会とはいえません…。
会場の音を聴くという意味は、会場に演奏以外の別の音というものが存在しているということを聴衆が感じます。会場に来ている人たちは素晴らしい演奏を聴きに来るのが目的です。しかし、演奏は他の音を寄せ付けない会場があってはじめて成り立ち、何よりも会場に来た聴衆(お客)がいて、演者のいる関係で成り立つ世界観といえるものです。
世の中は、見えないもの、聴こえないものに対する価値判断や評価はとても低いものです。本来芸術(アート)は見えないもの、聴こえないもの、手に触れられないものを感じることが芸術だといえます。
芸術は演者に与えられものではなく、それぞれが感じるものなのだ、ということをジョン・ゲージは伝えたかったのではないでしょうか?ケージはそのことを明確にしていませんが、私はそう感じました。
ただし、「演奏には聴衆が必要だ、というのは誰もが認める立場ではない」とゲージは発言しています。これは、同時代に生きたピアニストのグレン・グルードへの反発心から生まれた考えなのかもしれません。当時のグルードは演奏会というものを否定し、録音したものだけを世に出すようになり、聴衆たちを認めない考え方だったからです。当時の演奏は演奏者が音を間違えたらそれを咎める風潮があり、グールドはそれに反発していたのかもしれません。
それに対して、ケージは聴衆に対しても本当の音楽を伝えるために「4分33秒」という曲を生み出したのかもしれません。
そして、「4分33秒」の曲は何も演奏のないまま、四分三三秒ピッタリで終了しました。ケージは時計を確認してピアノを閉じ、聴衆に深々と挨拶をします。一斉に会場内からは止まることのない歓声と拍手の音に包まれフィナーレを迎えました。聴衆からの拍手は止みません。笑顔と涙でケージを送り出す聴衆たち。彼らにはケージの音楽が聴こえたのです。
もしかすると、風の音、木の葉の散る音、鳥の声、虫の声、花の声、水の音、空にも、暗夜にも、人の呼吸、身体の中からの音、森羅万象のすべては音楽であり、たとえ、聞こえない音、音のない世界にも音楽があるということをケージは伝えたかったのかもしれませんね。
後に、このケージの「4分33秒」という曲は世界に広まり、日本でも演奏されている伝説の曲となりました。そして、この曲は著作権のあるものとして評価されたのです。
ジョン・ミルトン・ケージ・ジュニア(一九一二年年九月五日-一九九二年八月一二日)はアメリカの作曲家、音楽理論家、作家、芸術家。通称ジョン・ケージ。不確定性の音楽、電気音響音楽、偶然性の音楽、拡張楽器のパイオニアで、戦後の前衛芸術の代表的な人物の一人です。
アメリカが生んだ二〇世紀最大の音楽家ジョン・ケージは、一九四〇年にネジやボルト、木の実などを弦にはさんで音色を変えた「プリペアド・ピアノ」を考案。五〇年代初めには禅思想や易経の影響を受けて「偶然性の音楽」を創始し、音楽にまつわる既成概念を次々に覆しました。
マックス・エルンスト、ジャクソン・ポロック、マルセル・デュシャンら同時代の美術家とも交流し、舞踏家マース・カニンガムとは生涯にわたって共同制作を行うなど、さまざまな芸術分野に大きく寄与しているアーティストです。
代表作「4分33秒」は、三つの楽章から成るが、楽器を前にした演奏者が四分三三秒の間、何も演奏しないという無音の音楽です。
それは、通常は表現要素として認識されず、忘れられている沈黙の世界についての覚醒をうながす行為だといわれています。
一九四二年にシュルレアリストの巨匠ことマックス・エルンストに評価されニューヨークで現代美術と関わりを持つようになります。
批評家はケージを二〇世紀の最も影響力のあるアメリカの作曲家として評価しました。 また生涯におけるロマンチク・パートナーである振付師のマース・カニングハムを通じて、ケージはまたモダン・ダンスの発展においても重要な役割を果たしています。
一九四五年からの二年間、ケージはコロンビア大学で鈴木大拙に禅を二年間学び、東洋思想への関心も深めます。
すべての偶然をあるがまま受け入れる禅の思想から、ケージは「自分では音を選ばず、うかがいを立てる」手法を導き出しました。
ケージによれば、四分三三秒間の“無音”を聴くのではなく、四分三三秒間の静寂な環境となった演奏会場で聴こえる、人の呼吸や級長など、普段は全く意識しない音に心を向けさせることを意図したものだという。すると雑音は音楽になり、また演奏者ではなく聴き手を主人公とした。音楽は音を鳴らすものという常識を覆す「無音の」音楽なのです。
平成二九年九月一八日(月)記 文責 富樫康明
「4分33秒」の譜面 ジョン・ミルトン・ケージ
「4分33秒」の譜面 ジョン・ミルトン・ケージ