【01】素晴らしき哉、人生
私たちには、自分の物語を自分でつくり、自分で人生を選べる素晴らしさがあります。
平凡な男がみつけた、こんなに素晴らしい人生を知っていますか?
アメリカのある町にジョージ・ベイリーという誠実な男がいました。
ジョージは貧しい人々に住宅を与える仕事に力を注ぎ、町の人たちから尊敬されていました。その理由は、困っている人がいれば無償で家の修理などをして、人々を助けていたからです。
そんな彼を快く思わない悪徳不動産屋ポッターは、ジョージを困らせるある企みをしました。その企みとは、彼が支払いに用意した金を盗み出すことでした。支払いのための大切金がなくなり、ジョージは途方にくれます。
子どもたちが楽しみにしているクリスマスの夜のことでした。
彼が一生働いても返すことができない八千ドルという大金を失ってしまったのでした。
子どもたちにクリスマスプレゼントを用意することもできません。辺りはしんしんと雪が降り薄暗く、寒さだけが彼を取り巻いていました。
彼は陸橋の上で泣き続けました…。
どうすることもできません…。
彼は深い絶望と後悔を胸に死のうと考えていました。
そんな彼の前に突然、二級天使のクラレンスが現れます。
誠実で善良なジョージをこのまま見放してはならないと、神様が託した使者クラレンスは、二00歳になってもまだ羽がもらえない不器用な二級天使です。一級天使になるには多くの人を救わねばなりません。
クラレンスは自殺を決意するジョージを思いとどまらせるため、説得を始めるのでした。しかし、お金の悩みは天使といえども救うことはできません…。そこでクラレンスは考えました。もしジョージがいなくなったら、ジョージが住む町がどうなるかを彼に見せることにしたのです。
天使クラレンスはジョージを過去の旅に連れ出します。
何でもない日常の営みがどれほど大切で大きな意味を持つかを教えるためです。クラレンスは彼の仕事がどれだけ多くの人々に役立ってきたか、これまで彼のしてきたちょっとした親切や思いやりある行いが、どれほど多くの人の人生を変えてきたか、どれだけ人々に喜びを与え、どんなに人々を救ってきたか…ということを、ジョージに知らせたいと思ったのでした。
そしてジョージが単調でつまらないと感じてきた仕事や、彼の心が抱くささやかな愛が、さざ波のように世の中に広がってゆけば、どれほど世の中がよくなるかということを彼自身が知れば、ジョージの自殺を留めさせることができるのではないかと考えたのでした。
もうお気づきの方がいると思いますが、このお話は巨匠フランク・キャプラ監督の映画『素晴らしき哉、人生』です。主役ジョージ・ベイリーを演じたのは、当時の人気俳優ジェームズ・スチュアートです。
一九四五年、第二次大戦が終り、復員したジェームズ・スチュアートは三年ぶりに帰郷していました。ジェームズにとっても渾沌とした時代で、映画界からは引退状態で希望を失っていた時のことです。所属していたMGMとの契約は切れて、再出発の見通しはまるで立ちません。そんな時、フランクから長年温めてきた映画に出演しないかと誘われます。
フランクは出演料の保証はできないことを告げてから、映画のストーリーをジェームズに話し始めましたが、
「こんな夢物語なんて誰もふり向いてはくれないよな。それにパッとしない・・・・・。」
途中でフランクは説明を止めてしまいます。
しばらく互いの間に沈黙が続きましたが、フランクが語ってくれたストーリーに共感を覚えたジェームズは、その場で出演を引き受け、さらにフランクを励ましたのです。
ジェームズがこの仕事を引き受けた理由は、平凡な男ジョージ・ベイリーの人生がジェームズの人生と重なったからでした。
映画シーンより─
無実の罪をきせられて途方にくれるジョージが、あるレストランにひとりポツンと座っています。そのときジョージは、行方のわからなくなった自分を案じて、家族や友人が心配し、無事を祈ってくれていることなど夢にも知らないのです。ジョージの深い絶望を表現するために、カメラは彼が失意のうちに椅子から崩れ落ちるところをロングショットで撮り続けていました。演ずるジェームズはジョージになり切り、顔を上げ神に哀願します。
「神様・・・神様・・・、俺は不信心者だが、もしあんたがそこにいて、俺の声が聞こえているなら、俺はどうしたらいいのかを教えてくれ、神様・・・」
台本にはなかったセリフでしたが、ジェームズの表情があまりにもリアルでした。
シーンはロングショットで撮り終えましたが、後の編集でキャプラ監督はこのシーンのジョージをクローズアップしたいと思ったのです。しかし同じような演出はできても、そっくりそのままを再現することは、カメラの性能からしても無理な時代でした。
そこでキャプラ監督は何週も現像所にこもり、フィルムの該当箇所を何度も何度も引き伸ばしていきます。こんな気の遠くなるような作業をくり返すのは、当時でもあり得ないことでした。膨大な費用がかかるのはもちろん、一コマ一コマを何千回も引き伸ばすことなど尋常ではないからです。しかしキャプラ監督はジェームズの迫真の演技に対して、そうする必要性とそれだけの価値があると確信したのでした。
演じたジェームズ自身もこのシーンについて、こんなふうに語っています。
「セリフを言っているうちに、どこにも行き場のない人間の孤独と、これ以上ない絶望を感じ、自然に涙がこみあげてきて止まらなくなってしまった。予定していなかったが、ほんとうに目の前に神が現れ、追いつめられた人間を救っているのだという思いがつきあげていたのです。」
自分と重なり同化していくジョージの思いが、ジェームズの深淵でオーバーラップしていたのです。
しかし、現実は映画のようにはいきませんでした。
撮影と編集、準備期間を入れると一年あまり。一九四六年十二月に、ようやく封切りとなりましたが、製作者の期待とは裏腹に作品は世に受け入れられず、一九四七年末にフィルムはお蔵入りとなってしまいました。
「やっぱり、神などいやしない・・・・・」
膨大な借金と信用を失ったキャプラ監督とジェームズに残されたものは、深い絶望と苦労に苦労を重ねて作り上げたフィルムのみでした。
「さて、どうすればいい。神よ、教えてくれ。どうしたらいい」
まるで自分たちが精魂込めて作った『素晴らしき哉、人生』そのものです。
絶望と希望は、いつも表裏の関係なのか。
絶望の向こうには希望が。
嵐のあとには静けさが。
闇夜の末には必ず、明るい光がさし込んでくるはずだ。
そして映画は消え去ることを拒否したのです。
『素晴らしき哉、人生』を観た一部の人から徐々に評判が広まり、やがてテレビで放映されることとなり、映画はさざ波のように広がり、やがて何百万という人のハートを掴んでゆきました。
映画が作られて四十年後の一九八七年、この『素晴らしき哉、人生』は、アメリカ文化の象徴となり、もうひとつのバイブルと評されるようになりました。
クリスマスがやって来るたびに、世界中の人々がこの映画を思い出します。
ボブディランは、
「わたしたちには、自分の物語を自分でつくり、自分で人生を選べる素晴らしさがある」と、この映画に捧げました。
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