【22】祈りの手
今から500年前のお話です。
デューラーとハンスという二人の若者がドイツのニュールベルグの町に住んでいました。
二人はとても貧しい家に生まれましたがとてもなかよしでした。その理由は二人とも画家になりたいという夢を持っていたからです。
二人にとっては生活の苦しさや貧しさなど気にならないくらい大好きな絵の世界でした。
どんなに苦しくとも人は夢があれば生きて行ける、希望は幸せに変わることもあります。二人は少しでも絵を学びたくて版画を掘る親方のもとで働くようになりました。
しかし、絵の勉強をする時間を作れません。毎日が生きて行くだけでせいいっぱい。互いに子沢山の家庭のため働いたお金を回さねばなりません。
二人は仕事をやめて絵の勉強をしたいと考え始めました。
しかし、絵具やキャンパスを買うお金などありませんでした。
もう、夢や希望を捨ててしまおうか、と悩み続けていました。
しかし、答えはありません…。
ある日、ハンスはデューラーにこんな話を持ちかけました。
「デューラー、聞いてほしい。このままでは僕たちは何もできない…。そこで僕は考えたんだ。二人一緒に勉強はできないけれど、一人ずつ交代すれば勉強ができるかもしれない。一人が働いて、一人が勉強するのさ。僕が頑張って働いて、その間は君が勉強するんだ。次は君が働いて、僕が勉強する。そうすれば、お互い助け合うことができる。どうだい!こうすれば僕たちの夢に近づけるはずさ。」
確かに良いアイデアでした。このままでいれば仕事で疲れ切ってしまい、勉強も大好きな絵を描くこともできません。
ただ、どちらが先に勉強するのかだけを決めれば良いのです。
ハンスはデューラーを先に、デューラーはハンスを先にと譲り合います。
この話を言い出したハンスは、
「デューラー、君が先に勉強してくれ。君の方が僕より絵が上手なのだから、きっと早く学べるはずだから…。」
デューラーはハンスの言葉に感謝して、ベネチアで勉強することにしました。
残るハンスは、もっと稼ぐために鉄工所で働くことにしました。
自分の為に犠牲となり働くハンスのことを思い、「一日でも早く勉強を終えて、ハンスと代わりたい…」と、デューラーは眠る時間を削りながら必死に絵の勉強に取り組みました。
ハンスも必死に働きました。デューラーのために、朝早くから深夜まで、重いハンマーとの格闘です。今の時代はコンピュータや機械がありますが、この時代、重い鉄ハンマーを振り上げるのは人ですから、壮絶な仕事でした。
春、夏、秋、冬と一年、二年が過ぎ去りました…。
しかし、デューラーは帰ることができません。絵の勉強に終わりなどないのです。勉強すればするほどさらに深くなるのです。
それを知ってか、ハンスは「自分が納得するまで勉強するように…」と手紙を書き、そのまま送金を続けました。
それからまた数年が経ち、ベネチアで高い評価を受けるようになったデューラーは、ドイツの故郷に戻ることになりました。
デューラーにしてみれば、長年自分の犠牲になっていたハンスに一日も早く逢いたかったはずです。ハンスも再会を夢見ていました。
「今度は、ハンスの番だ…」彼は急いでニュールンベルグの町に帰りました。
二人は手を取り合って再会を喜びました…。
ところが、デューラーはハンスの手を握りしめたまま呆然としてしまいました。
デューラーは涙が止まりません。ハンスの目からも大粒の涙が零れています。
二人の涙は再会の喜びだけではありませんでした。
ハンスの両手は傷だらけ。長い間の力仕事でごつごつとなり、両手は重いハンマーの持ち過ぎのため変形してしまい、鉛筆も持てない手となっていたからでした。
「僕のために…僕のせいでこんな手になってしまって…。もっと早く戻れたら君をこんな姿にはさせなかったはず…」デューラーはハンスを抱きしめながら泣きを続けました。
自分の成功はハンスの犠牲の上に成り立っていました。
ハンスの夢を奪うことで、自分の夢は叶ったのです。
彼には、罪悪感しか残されていませんでした。
ハンスは何も言いません。戻るのが遅かったと文句も何もありませんでした。ただ、大粒の涙を流しているだけでした。
数日してから、またハンスの家を訪ねる事にしました。
デューラーは自分を恥じていました。この数日間は罪悪感に襲われ続けるばかりでした。
「僕に、何かできる事ことはないのだろうか…。少しでも償えることはないのだろうか…。僕は彼の人生の大切な夢を奪い去ったんだ…。」
彼はドアをノックしました。何度も叩いても返答がありません。
しかし、人の気配があります。
扉に耳をあてると部屋の中からは声が聞こえます。
彼は扉を開けて部屋に入りました。
部屋の隙間からハンスの姿が見えます。
静かに祈りを捧げている姿です…。
隙間からは、ハンスの歪んでいる手も見えました。
指と指を絡ますことができない両手を合わせ、一心に祈っているのです。
ハンスの声が聞こえてきました…。
「デューラーは私のことで傷つき苦しんでいます。自分のことを責め続けています。神さま、どうかデューラーがこれ以上苦しむことがありませんように。そして、私が果たせなかった夢を彼が叶えてくれますように。あなたの守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように…。」
なんという優しい言葉なのでしょう…。
デューラーはその言葉に心を打たれ、神にお詫びしました。
デューラーは何もいわないハンスを邪推していました。ほんとうは、自分の成功を妬み恨んでいるのではないかと。
「ああ、神さま、ハンス、お許しください…。」
デューラーは、ハンスの祈りが終わるのを待って言いました。
「お願いだ…君の手を描かせてほしい…。」
「君の手で僕は生かされたんだ…君の手の祈りで僕は生かされたんだ。」
こうして、1508年に「祈りの手」が生まれました。
これは、ドイツの画家・版画家「アルブレヒト・デューラー」の実話です。
現代では、このような話は夢物語に過ぎないという人がいますが、他人のために働き、他人のために好きな道を諦め、心の底から他者の成功を祈ったハンス。
ハンスには犠牲なんて気持ちはなかったのかもしれません。
デューラーに自分の夢を託すことが、ハンスの希望だったのだと思います。
キリスト教では指と指を絡ませてお祈りするのですが、指の曲がらないハンスは仏教徒のように両手を合わせて祈っています。その祈る手は500年を過ぎても名作として…。
これはきっと、希望の手。
©Social YES Research Institute / CouCou