【21】ウソの物語
ある町のはずれにうす汚い大きなネコの木像がありました。
そこは草がしげり木像の姿はかくれているようでしたが、ひょっこりと見えるネコの顔は笑顔に包まれていました。いったい誰がつくったのでしよう…。
しかし、とても汚い。子どもたちが落書きをしたのでしょうか…。からだ中に泥をかけたあとがあり、うす汚れていました。それでもネコは笑顔のままでした。
「あれは、ウソつきのかみさまだ…。みなだまされてしまうぞ。」
人びとは町はずれのネコの木像を見るたびに悪口をいいます。
「わしは、どんなに汚くともあの笑顔を見ているだけで嬉しくなる。」といって、毎月木像をきれいに掃除にくる老人もいます。
不思議なことに、人気のなくなる夕方になると、たくさんのネコやネズミたちがここを訪れます。そこには御供え物のように、だれかが食べ物をおいていくからです。
「おい、ウソつきネコのかみさま。あんたはどうしてウソばかりいうんだい?でも、不思議だ…。どうして食べ物がおかれているのか?」
小さなネコが木像のネコにはなしかけました 。
「あなたはかみさまなの…?ぼくたちのかみさまなの?ぼくの名前はオネスティといいます。どうしてあなたはウソつきなの?」
「私の名前はライアー。ウソなどついたことはありませんよ。」
まわりにいたネコやネズミたちはいっせいに笑いはじめました。
「ハハハ、もうウソをついている。だから、ウソつきといわれるのだよ。」
オネスティは真剣にはなしかけました。
「ライアーさん。わたしいまは悩んでいます。わたしは生き方に迷っています。このままでいいのか?何か違うことをはじめればいいのか?どうしたら良いのかがわかりません…。」
ライアーが答えます。
「オネスティさん、それはね、ウソをつかないことですよ。」
まわりはいっせいに笑い出しました。
「なに、いってんだ!ウソつきの神さまが〈ウソをつかないこと〉だと?笑わせるなよ。」
オネスティも答えました。
「ぼくはウソをついてはいません…。」
「あなたは、何に迷い悩んでいるのでしょう。何も悩む必要はないですよ。優しい男の子です。迷うこともありませんよ…でも、ウソはいけません。」
オネスティは考え込んでしまいました。どうして?ウソなどついていないのに。それに他人を傷つけるようなウソをついたこともないからです。
「あなたは何を我慢しているのでしょう?何に耐えているのでしょう?」
「…今の仕事です。仕事をしなければ生きていけません。まだぼくは子どもだし、大人のような働きができません。でもやめるわけにはいかないのです。母と小さな弟や妹もいるからです。」
「オネスティ、あなたは偉いね、とても。でもね、ウソはいけない。」
「ライアーさん、ぼくのどこが、何がウソなのでしょう?ぼくにはわかりません…。」
「オネスティ、もちろんあなたはウソつきではありませんよ。何かに耐え続け、我慢していることがウソなのですよ。自分にウソをついていることになるのですよ。無理なく、自然に、あなたが頑張っているからこそ、お母さんや兄弟たちが助かるのだから、そのことで何を迷い、何を悩むことがあるのでしょう…。弟や妹たちももうすぐ大きくなります。お母さんはやがてこの世から去ります。そのことに自信と誇りを持つことですよ。そのことで迷い、悩み、我慢していることがウソなのです。素晴らしいことなのだからね。お母さんのためだとか、弟や妹のためだとか、無理やり自分にいい聞かせ、我慢するのは自分にウソをついている証拠です。」
「…。」
「オネスティ、あなたは悩むことも、迷うこともないのですよ。それに、もっともっと大きなしあわせが待っているはず。」
いつのまにか、まわりの者たちは静かになっていました。
「俺の名前は、トゥルース。ライアーさん教えてくれ。俺はウソつきだが、自分には決してウソはつかない生き方をしてきたと信じている。だけど、家庭も友人関係もうまくいかない。仲間とのコミュニケーションもうまくいかない。何よりもひとりぼっちの生活に耐えられない…。どうしたらいい?」
「トゥルースさん。あなたは決してひとりぼっちではありませんよ。でも、あなたは自分にウソをつきなさい。」
「えっ…。オネスティには自分にウソをついてはいけない、といっていたはずだが…。」
「はい。トゥールスさんは正直すぎるのですよ。正直な人はみな自分を正しいと信じすぎ、非を相手に求めてしまいます。それに、自分にも、相手にも厳しすぎるのです。それでは相手も遠ざかってしまいます。正しさばかりを強く求めると、やがてひとりぼっちになります。ウソは悪ではありません。ウソには相手を傷つけるウソと相手を喜ばせるウソがあります。ます、自分に優しいウソをついてみませんか?」
「自分に優しいウソ…?」
「そう、正直な人はあまりにも自分に厳しすぎるのです。自分に厳しすぎるということは、自分も相手も許せなくなります。ですから、まず自分を許してあげなさい。」
「自分を許すって…?」
「自分に優しくしてあげるだけで良いのですよ。トゥールスさんはいつも自分を責めていますね。仕事が思うように進まなかったり、失敗したりすると、すぐに自分を許せなくなりますね。そんな時、よく頑張ったね、精一杯に頑張ったね、とウソをつけば良いのです。ウソをつく必要はないかもしれませんがね。」
辺りは海の底のような静けさで、フクロウの声、虫の声、風で木の葉の揺れる音、小川のせせらぎ、オオカミの遠吠えが聞こえます。ネコとネズミたちは、ネコの木像のまわりでみんなの話に聞き入っていました。
「あなたの声は美しいですね。」
「あなたの毛並みはきれい。」
「可愛い瞳ですね。」
「もう90歳になるのですか、素敵ですね。」
「あなたは男前だからモテますね。」
「あなたにはきっと素晴らしい男性と巡り合えますよ。」
「あなたは、晩年になり大きな富を得ます。」
「あなたのことを皆が感謝していますよ。」
「お父さんとお母さんがいてくれて幸せですね。」
「可愛らしいお孫さんですね、羨ましいですね。」
「もっともっと正直に。」
「優しいウソをついてごらんなさい。」
ライアーはひとりひとりに話しかけました。マタタビをかいでいるかのように、みな褒められてうっとりしてしまいます。お話は夜明けまで続きました。
最後に、ある女性が質問をしました、
「わたしの名前はラブです。ライアーさんに質問します。ウソは悪いことだと思います。だから自分にも他人にもウソは良くないことだと思います。それにウソは相手に失礼なことです。」
「そうですね…。ウソは悪いことですね。でもね、わたしはウソが欲しかった…。ウソをいってほしかった…。ウソでも嬉しかったことがたくさんありました。みなさんはわたしのことをウソつきといいます。でも、わたしは、わたしのウソで怒られることはあっても、相手をダメにするようなことはいったことはありません。本当のこと、真実、正しさって何ですか…。それが相手を深く傷つける場合もあります。ですから一概にウソは悪だと決めつけるわけにはいきません。わたしはずうっとひとりぼっちでした。見たこともない母や父、兄弟、姉妹。ですから、わたしは心の中で父や母、弟、妹をつくりました。わたしは小さなころからいじめられてきました。ですから、いじめる子を友だちだと思うようにしました。仕事がとても大変で何度もやめようと考えました。ですから、その仕事を好きになるように努力しました…。」
「それって…自分にウソをつくというよりも自己暗示で無理やり言い聞かせているだけではないのですか?」
「いえ、自己暗示は不可能なことです。一時的に自己暗示しても自分自身が納得できないことであれば、すぐさま元の状態に戻ってしまいます。それに自己暗示などというものは、強制的な催眠術と同じで、心の中(意識の中)は納得させることができないものです。思い込みも同じです。無理やり自分に言い聞かせ、思い込ませても、嫌なことは嫌に変わりません。このような自己暗示、ウソは長く続くものではありません。大切なことは、自分自身が納得できるかどうかにあります。」
「…。わかりますが、わたしの孤独感と寂しさはどこから来るのでしょう…」
「わたしも孤独で寂しい…。世界中で孤独でない人、寂しくない人はいるのでしょうか。結婚していて子供に恵まれ、孫ができれば孤独感がなくなるのでしょうか。娘や、息子たちが立派になれば寂しさがなくなるのでしょうか。友人にも恵まれ、健康で元気でいれば孤独感がないのでしょうか。お金があって、お金の不安がなくなれば寂しさがなくなるのでしようか…。
孤独感と寂しさは幸せである証拠ではないのでしょうか。
あなたは、誰からも愛されていないのでしょうか。
あなたは誰も愛していないのでしょうか。
あなたは誰からも支えられていないのでしょうか。
何よりも、あなたは誰かを支えていないのでしょうか。
何よりも、あなたは何に我慢して、耐えているのでしょうか。
ただの自己暗示や思い込みは否定する心です。
ただの自己暗示や思い込みは人を孤独にします。
自分にいくら言い聞かせても、それには限界があります。
それが本当のウソといいます。
自分にとって都合の良いウソは自分を見失わせます。
自分の立ち位置までわからなくなります。
自分に都合の良いウソは自分を不安定にさせます。
それが本当のウソなのです。
わたしのウソは、自分に都合の良いウソではなく、都合の悪いウソです。
たとえば、「今の仕事をやめたい…」と考えた場合、誰もが理由をつけます。
理由を考えただけで都合の良いウソになってしまいます。
都合の悪いウソとは、断りづらい、辞めづらい、恥ずかしい、みっともない、言いにくいことに対して、自分に都合の良いウソではなく、正直に「今の仕事をやめる」と、はっきりとした態度をとることです。自己暗示や思い込みではなく、ストレートにやめることです。理由など必要なく、大変だからやめればいいのです。
朝陽が昇ってきました。
また、新しい時が来ます。
たくさんのネコやネズミたちはいつのまにか姿を消してしまいました。
それぞれの場所に戻ったのでしょうね。
ラブさんは最後までネコの木像の前にいました。木像は傷だらけで汚く口元が汚れていたので彼女は自分の手でゴシゴシと拭いてあげました。すると、木像が微笑んでいるのがわかりました。こんなにも汚く、傷だらけでいても笑顔は何も変わりません。
木像の名は「ライアー」。
本当にウソつきでした。
本当のウソつきでした。
わたしもウソつきになります。
ただし、納得できるウソつきです。