【08】ある晴れた日曜日
ある晴れた日曜日、私はいつものように一週間の仕事のまとめをして、翌一週間の予定をまとめていました。すると、事務所扉をノックする音が聞こえました。
突然の訪問者です。
扉を開けてみると六人の訪問客で、突然私に聖書を見せて読み始めました。
私は扉を半開きのままで聞いていましたが、なかなか話は終わりません。
この人たちは何を言いたいのでしょう…。
ようやく長い話が終わり、次は私に意見を求めてきました。
それは、「あなたは神を信じますか?」という質問でした。
私はイライラしていたせいか即座に、
「神など信じていません、信じません」と答えました。
すると彼らは哀しそうな顔をして、
「それは不幸なことです…」と言い出すのです。
「何が不幸なのですか?」と言い返しました…。
「それは、あなたが神様を信じていないからですよ。神はあなたの目の前にいらっしゃる、あなたを守り続けているのです」といいます。
私は再度言い返しました。
「そんなこと当たり前ではないですか?」と。
すると、驚いた顔をして、勘違いしたのか、私に「ぜひ、読んでほしい…」と聖書に関する小冊子を手渡そうとしました。
「私は入りません…」と答えたら、
「置いておくだけで構いませんから、置かせてもらえませんか…」といいます。
さらに話は長く続き、私は困り果てました…。
その理由は、この人たちは聖書の伝道者で、上からの指示(命令)で布教しているだけだからです。この人たちには罪はないし、無下にもできない…、彼らはこのことを信じきっている人たちですし、何を言っても無駄だと思っていました。
その話は聞けば聞くほど、彼らの言う神様が嫌いになります…。
私が嫌がっている顔などお構いなしに話しが続きます。
これが彼らの布教活動という修行なのでしょう。
そこへ、私が事務所お借りしている大家さんの奥様が来て、
突然、「お帰り下さい!」と大きな声で叫びました。
彼らは困惑しているようでしたが、矛先はその奥様になりました。
この奥様は数年前から腰の骨を折ってしまい歩行するのは困難の状態のため長男に支えられていました。
彼らは、その言葉にも怯まず聖書を勧めようとします。
「奥様、奥様の御病気を良くするにはこの聖書お読みになるときっと良くなりますよ…。病というものはその人の心が生み出すもので、身体か悪ければ家庭もうまく行きませんし、仕事もうまくいかないものです…」
「……」
一瞬互いが静寂に覆われたように静かになりました。
奥さんは何かを考えているかのように押し黙ったまま、彼らの話を聞いて言いましたが、急に笑顔になって彼らにこう答えました。
「私は神を信じています。私はあなたたちの思う神様ではなく、私を守って下さっている神様を信じています。私の体の病は神が与えてくれたものです。はっきり言って夫婦、家庭内はあなたたちが言うようにうまく行っていません。家族はバラバラかもしれません。しかし、これらのすべては私の思うところの、私をお守りくださっている神様から与えられた恵みです。私は、この与えられた恵みに心から感謝しているのです。こんなに恵まれています。ですから、あなたたちの思う神様は必要がないのですよ…」
「……」
あまりにもストレートな考え方だったからなのでしょうか、彼らは無言となりました。
そして、軽く会釈して、何も答えず、そのまま去って行きました。
彼らの姿を見ながら、彼女は私にこう言いました。
「富樫さん、夫婦、家族関係がうまく行かない人、病気のない人、苦しんでいる人、お金のない人は神様が与えてくれた最高の恵み(贈り物)ですよ。夫婦円満な人、病のない人、身体の痛みを感じない人には幸せがわからないのよ。神から与えられた恵みには感謝しなくちゃね…」
そう笑顔で答えて自宅に戻りました。
ある晴れた日曜日、青空に春を感じる三月の終わりの出来事でした。
平成二九年三月三一日記 文責 CОU CОU
幸せになれないネコ
ワタシは、
いつも人のためになること
人に心を尽くすこと
その人が幸せになることを願うこと
自分のことよりも相手を思いやること
愛するご主人様に喜んでもらうこと
愛する人が楽しんでもらうこと
少しぐらい嫌なことなど我慢すること
何よりも人を大切にすること
そのようなことだけを考えて生きてきました。
でも、ワタシには満足感や充実感がありません。
何よりも、心が哀しいのです。
ワタシは一人では生きていけません。愛するご主人様とともに生き続けるのです。でも、他から見れば何不自由はなく、誰が見ても幸せに見えますが、心が寂しいのです。
ある日、ワタシは愛する主人に内緒で散歩することにしました。
何という爽快感なのでしょうか?
狭い家の中で何年も暮らしていたのですから、外が、空がこんなにも広いことには驚きました。外の気温は長い冬が去り、春風とともに暖かく、思わずウトウトと居眠りしそうです。ワタシは目の前に咲いている薄桃色の桜の花を眺めながら人生をふと振り返りました。
ワタシは本当に幸せだったのでしょうか…。
わかりません…。
でも、いつも人のために尽くしてきました。そのことを理解してくれる人はあまりいません。本当に頑張って、頑張って、人のために生きてきました。多くの人に喜んでもらいたい、みんな幸せになってほしい…。
しかし、ワタシの心の中のこの寂しさと哀しさは何なのでしょう…。
もしかすると、何かが間違えているのでしょうか…。
そこへ、真っ黒な大きな烏が飛んできて、ワタシに声をかけました。
「おい、可愛いシロネコちゃん。何を浮かない顔をしているんだ。空を見てごらんよ!晴々とはこんな日のことを言うのだよね。気持ちいいね!」
「烏さんは幸せですか?」
「突然に何を言うのだい…」
「…大きくて真っ黒な烏さんは自由に空を飛べて幸せだと思うから…」
「ぇへへ。自由なんてものはなあ、不自由なものだ。空はあまりにも広すぎて、どこがいい場所なのかどうかがわからないなあ…」
「ねえ、ひとつだけ教えてほしいことがあるの。それは、ワタシは幸せかどうか?不幸なのかどうか…」
烏は突然の質問に言葉が詰まってしまいました。
「…、いいたくないけど、はっきり言おう!あなたは不幸だと思う…」
「どうして。どうして不幸なの?ワタシには優しいご主人様が面倒を見てくれているし、寝る場所も食べることも心配はいらない。むしろ恵まれすぎていると思っている…」
「そんなに恵まれているのなら、どうして哀しそうな顔をしているの…」
「…」
「ならばどうしたらいいの…」
「では言おう…。それは自分を大切にすることだね!」
「…そんなこと…。いつも自分を大切にしているよ!」
「そんなこと嘘さ…。自分でその嘘がわからないだけさ…」
烏は淡々と話し始めました。
「では、どうして哀しいの?どうして寂しいの?」
「自分が我儘だからです…」
「何が我儘なの?」
「何がって、いつも甘えているから…」
「何を甘えているの?」
「自分勝手だから…」
「どこが自分勝手なの?」
「……」
シロネコは何も答えられなくなりました。
烏は質問を続けました。
「じゃあ、何のために人に尽くしているの?」
「…。うーん、自分の為かなあ…」
「自分のためになっているの?」
「……」
シロネコはますます答えることができなくなりました。
「いいかい、自分を大切にするという意味を教えてあげよう。今のあなたは自分も相手も大切にしていない。自分を大切にできていないのだから、相手を大切にできているわけがない。自分を大切にするという意味は、人のために何かをやることや尽くすことだけじゃあない。自分のために自分に尽くすことが、自分を大切にすることなんだよ!あなたは、
「ワタシは、
いつも人のためになること
人に心を尽くすこと
その人が幸せになることを願うこと
自分のことよりも相手を思いやること
愛するご主人様に喜んでもらうこと
愛する人が楽しんでもらうこと
少しぐらい嫌なことなど我慢すること
何よりも人を大切にすること」
と思っていたね。その考えを少しだけ反対に変えて見たらどう?
「ワタシは、
いつも自分のためになること
自分に心を尽くすこと
自分が幸せになることを願うこと
相のことよりも最初に自分を思いやること
愛するご自分に喜んでもらうこと
愛する自分に楽しんでもらうこと
嫌なことなど我慢しないこと
何よりも自分を大切にすること」
これが自分を大切にするための第一歩なのさ!
もっと自分勝手でいい、我儘でいい、ご主人様に遠慮などいらない、思いっきり甘えればいい。何も我慢などしなくていい、思いっきり愛されればいい。
シロネコは何かに気づいたようです。
そう、もっと自然で、もっと自由に、遠慮せず、我儘になって思いっきり甘えて見ようと思いました。
それから、シロネコはご主人様に甘え続けることにしました。真っ黒な大きな烏がいうように、甘えれば甘えるほど、ご主人様は喜んでくれて、愛してくれて、今まで以上に大切にしてくれるようになりました。
シロネコは言いました。
」ワタシ、何か人に良いことをしているような満足感と充実感、そして幸せ感を味わうようになりました」
今は、年老いたワタシとご主人様と二人だけの生活になりましたが、ワタシはさらに我儘になり、思いっきり迷惑をかけて心配をかけ、病気にまでなって、愛するご主人様の生命の支え、生命の希望となっているのです。
その分、ご主人様は元気でいられるようです。
あの時、真っ黒な大きな烏が別れるときに言った言葉を思い出しました。
「いいか、烏は甘えることができない、甘えられない、好かれない、嫌われる動物だ。でも人は俺たちを恐れ、怖がることによって注意するようになるのだから、それでも人のためになっている…。わかるかなあ…。可愛いネコちゃん、あなたたちは我儘になって、もっともっと甘えていいのだよ!それが本当の幸せさ…」
もっと、もっと自由にね…。
平成二十九年四月一日 文責 富樫康明